エヌエタック環礁訪問リポート

MJCCスタッフの西村です。
先日テレビ局の取材で行ってまいりましたエヌエタック島のレポートです。
エヌエタック島(日本語文献では”エニウェトク”とかかれることも多いが近い発音は”エヌエタック”)とは・・・

(以下ウィキペディアからの転載)

エニウェトク環礁(Eniwetok Atoll)とは中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁。円周80kmのラグーンとその周囲のおよそ40の島からなり、島の面積は合計6km²以下である。ラリック列島で2番目に西にある環礁で北緯11度30分、東経162度20分に位置する。人口は1990年現在で820人である。

エニウェトク環礁は1794年にイギリスの商船Walpoleが訪れるまでヨーロッパ人には知られていなかった。そして、1885年にドイツ領となるまでにも数十隻しか船は訪れなかった。他のマーシャル諸島の島同様、第一次世界大戦中の1914年に日本が占領する。1920年に日本の委任統治領となり、ブラウン環礁とも呼ばれた。

第二次世界大戦まで日本はこの環礁をほとんど無視していた。1942年11月、日本はEngebi島に飛行場を建設し、これはカロリン諸島や他のマーシャル諸島の島へ向かう飛行機が利用した。ギルバート諸島の陥落後、1944年1月4日に日本陸軍は島の防衛のため海上機動第一旅団を派遣したが、2月のアメリカ軍の侵攻の前に防御を固めることはできず、環礁はアメリカ軍が占領した(エニウェトクの戦い)。

戦後住人は立ち退かされ、環礁は太平洋核実験場の一部となり、1948年から1962年までアメリカ合衆国の核実験に使われた。1948年4月30日のサンドストーン作戦(エックスレイ実験)を皮切りに、1952年には最初の水爆実験アイビー作戦(Operation Ivy)が行われた。

核爆発による雲の調査のため1957年、58年には幾つかのロケットが打ち上げられた。

1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出されたが、30年を経ても島ではヤシの木や穀物が育たなかった。現在も島の北半分は放射能汚染レベルが高く活用できず、南半分で生活している。取り除いた放射能汚染物質をコンクリートで格納したルニットドームも存在する。プルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数は長くて100年であり、すでにひび割れも始まっている。

・・・というわけで壊れたエンジンをとりかえていざ出発です。

dornier

エヌエタック島は遠いので燃料が足りるかドキドキです。
行きか帰りに一度は米軍基地のあるクワジェリン島で給油する必要があります。

さてエネエタック島がみえてきました。

eniwetok

到着すると子供たちがよってきます。
人懐っこいです、都会よりも。
kids

ルニットドームを見るためにはボートをチャーターしなければいけません。
ちなみにチャーターしたのにボートは用意されてませんでした。

走れ、現地人たち!!

燃料空!

こぼれるこぼれる!

refill

30分もするとルニットドームの頭がみえてきました。

runit
→写真 runit2

ルニット島にボートをつけ、ルニットドームを登ってみますと・・・

renit

せっかくキレイな島を台無しにするような外観のルニットドーム。

登って見える光景も異様です。

コンクリートをチェックすると裂け目があり、補修を受けた後がありました。

crack

避けたコンクリートがどれだけの危険をはらんでいるのかはわかりませんが、
一般住民の汚染地域で取れた魚やココナッツを気にせず摂取する危険意識の希薄さは問題です。

来た道を帰るときには二機掛けのアウトボードエンジンのうち一機が停止。
もう一機とまったら遭難だー。

倍の時間かかったもののなんとか空港に到着。
暗くなる前に急いで飛び立ちます。
ばいばい、子供たち。

bye kids

ばいばい、エヌエタック。

bye bye

 

NISHIMURA

ロンゲラップ環礁 訪問リポート

先日のビキニ環礁リポートに続いて、ロンゲラップ環礁にも行ってきました。
ロンゲラップ環礁は世界遺産には指定されていませんが、ビキニ環礁と同じくアメリカの行った水爆実験「キャッスル作戦」によって深刻な放射能汚染を受けた環礁です。実験の3日後に島民たちはアメリカ軍によって強制的に移住させられ、治療を受けました。実験から3年後にアメリカの安全宣言に基づき島民たちは環礁に戻りましたが、その多くは甲状腺に腫瘍ができるなどして死亡、1985年に再び避難しました。
1996年にアメリカはロンゲラップ環礁に残る汚染土壌を数インチ除去することで島民と合意しました。多くの評論家は、この作業は不可能だと考えていましたが、ロンゲラップ選出の議員ジェイムス・マタヨシは「作業は順調に進んでおり、明るい未来を約束する」と島民や観光客にアピールしています。
現在のロンゲラップ環礁では島民の帰島に向けて住宅の建設が行われています。また住宅に先立って建設されたロンゲラップ・リゾートは既に営業しています。
放射線量はビキニと同じように問題ないレベルのようですが、やはりロンゲラップ環礁でとれる食料を摂取し続けることは難しいようです。

↓ロンゲラップ環礁の飛行場。かなり大きい飛行機も停まれるので、コンチネンタルの飛行機を停めたがっている、という噂もあります。

↓ロンゲラップ・リゾート。1週間食事付で$1300~。

↓建設中の家屋。私が訪れた時点で建設中の住宅は49軒でした。

↓水爆実験以前からある教会。

SATO

ビキニ環礁 訪問リポート

先日、テレビ局の取材に同行してビキニ環礁、ロンゲラップ環礁に行ってきました。
ビキニ環礁は1946年から1958年にかけて、太平洋の核実験場としてアメリカ合衆国が67回もの核実験を行ったことで有名で、2010年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
今回訪れたのはビキニ島、エニウ島、水爆ブラボーによってできたクレーター付近。
↓wikipediaから借りてきた航空写真。

ビキニ環礁航空写真

 

ビキニ島には現在Bikini Project Departmentから4名、アメリカ合衆国のエネルギー省から1名の人たちが住んでおり、核実験後に開始された各種除染実験のデータを送ったり、建設物のメンテナンスをしたりという生活をしているので、発電所、宿泊施設等多くの建物があります。
ちなみに気になる放射線量ですが、訪れるにはほとんど問題ないレベルのようです。ただしビキニでとれる食料を摂取し続けると問題のあるレベルに達するらしく、永住することは難しいようです。
↓ビキニ島の中心地?各種建物が並んでおります。

 

↓ダイビング客用のホテルとその前のビーチ。

 

↓実験農場。核実験後に植林されたヤシの木に番号が振られています。

 

エニウ島には誰も住んでいませんが、飛行場の他、コントロールバンカーと呼ばれる水爆ブラボーのスイッチのあった建物が残っています。
↓ビキニ空港。無人です。

 

↓コントロールバンカー。分厚いコンクリートの塊でした。

 

撮影のため、ブラボークレーター付近にも行ってきました。上の写真でもわかるようにクレーター部分は明らかに深くえぐれています。ブラボーの爆発によって環礁を構成する島が一つと半分消えたそうです。
↓すごい色の海。奥の濃い青の部分がクレーターです。

 

↓エンジンの泡を境目に左右で色が違うのがわかります。

 

せっかくなので私も海に入ってクレーターの淵の部分を見てみましたが、確かに色の境目あたりからなだらかなスロープが始まっているのが見えました。

ビキニ環礁へ行くにはビキニ地方政府の許可が必要となっているため、なかなか気軽に行ける場所ではありませんが、世界遺産に指定されたこともあり、将来的にはマーシャル諸島観光の穴場となるのではないかと思います。

 

SATO

アルノ環礁 訪問リポート

先週末、MJCCスタッフ2名はアルノ環礁へ行ってきました。

マーシャル諸島共和国は、29の環礁と5つの島、1200以上の小さな島々から
成り立っており、アルノ環礁は首都のマジュロ環礁からボートで1時間くらいのところにあります。

 

アルノ環礁の陸地面積は8平方㎞。マジュロの約1.5倍ですが、
人口は2000人ほどでマジュロの約15分の1です。
アルノアルノという場所に唯一の宿泊施設やスモールストアなどがありますが、
その他の場所にはほとんどないため、住民はヤシの実やパンダナス、パンの実などから作った
ローカルフードを食べ、昔ながらの自給自足に近い、のんびりとした生活をして過ごしているようです。

 

2011年11/4付けの「Marshall Island Journal」には、ここ1年間におけるアルノ環礁のコプラ製造量は
マーシャルで一番多い、と掲載されていました。
コプラは、ヤシの実から獲れるものでココナッツオイルなどの原料となり、
マーシャルでは大きな収入源の一つとなっています。

 

今回訪れたのはイネ、ジャボ、メタルという場所。

 

私たちは車で移動しましたが、アルノ環礁内に車はなんと1台しかありません。
車は乗車賃がかかるので、住民の主な移動手段は徒歩、自転車、バイクなどが多いようです。
私たちが移動した距離は約5キロ間でしたが、中心地のアルノアルノまではさらに約10キロほど。
住民たちにとって、各場所を行き来するのはとても大変な距離で、
移動手段は離島の人たちにとって大きな悩みの一つです。

 

 

しかも、道路は舗装されておらず、車のタイヤ跡が唯一通ることのできる場所。
環礁内はほとんどの場所が自然のままで、ヤシの木やバナナの木など南の島の木々に囲まれ、
まるで、ジャングルの中にいるようです。

 

 

 

道が狭い場所では内海と外海が一度に見渡せるところもあります。

 

 

 

目に入ってくる光景は真っ青な空と、木々の緑と、色鮮やかな海。
そして、元気いっぱいの子供たち。

 

 

 

ラグーンサイドには、真っ白な砂浜と光り輝く海。
ヤシの木の下でこんな風景をぼーっと眺めていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

 

 

そして、ローカルフードもいただきました。
マーシャルにはココナッツを使った料理がたくさんあります。
こんな風に、ヤシの葉を使って作ったバスケットは日常でよく使われています。
マーシャルの人たちにとって、ヤシの木は実、葉、幹すべてが生活に欠かせないものになっています。

 

 

さらに、首都マジュロでは滅多に食べる機会がないヤシガニもいただきました!
ヤシの実を食べているせいか、ミソ部分はココナッツの味がしてとても美味でした。

 

 

帰りには、なんとクジラに会うこともできました!
マーシャル在住4年目のスタッフも、初めてのクジラとの対面に感動です!!

 

 

この日は本当に天候にも恵まれ、朝からとても充実した一日を過ごすことができました。

 

アルノまでのアクセスは、定期便の船かチャーターボートしかありませんが、
マジュロから少し足を延ばしてみると、また違うマーシャルの魅力に出合うことができます。

 

マーシャルを訪れる機会がありましたら、ぜひ、こんな楽しみ方をしてみるのもいいかもしれませんね。