米国沿岸警備隊の船へ社会科見学

先週、中学生の息子の社会科見学に同行する機会がありました。

前日に校長先生から保護者あてにメールが届きました。学校のスクールバスが故障してしまい、生徒を運ぶために車を出してくれる保護者を急きょ募集しているとのこと。それならばと協力し、ついでに生徒の付き添いとして社会科見学にも参加させてもらいました。

今回の見学先は、マジュロに寄港していた米国沿岸警備隊の船、Juiperです。

この船はブイテンダー(buoy tender)と呼ばれるもので、航路標識である“ブイ(浮標)”を設置・点検・交換するための専門作業ができる船です。 今回はマジュロ環礁の切れ目にある、コンテナ船や大型船がマジュロのラグーンに出入りするための水路、カロリンパスに新しいブイを設置しに来てくれたそうです。

沿岸警備隊の方の説明によると、この船はブイの設置だけでなく、海で悪いことをしている船や人がいれば、パトカーのような高速ボートを降ろして対応することもあるそうです。

船には重量のあるブイを持ち上げられる大きなクレーンが搭載されていました。ハワイから来た船とのことで、クレーンに書かれたイラストにもハワイらしさが感じられました。

生徒たちは船の設備や、沿岸警備隊の方の案内で、船内や操舵室などを見学しました。

カフェテリアを見学したときのこと。中学生男子たちが「あんなところにニンテンドースイッチが置いてある!」と目ざとく見つけて喜んでいました。「長い航海で任務を遂行するのは大変な仕事ですが、私たちも人間なので休息が必要です。休み時間にはこのカフェテリアでビデオゲームをすることもあります」と説明してくれました。カフェテリアには、コーラが出てくるドリンクバーのようなコーナーもあり、アメリカらしいカジュアルな雰囲気でした。

楽しい社会科見学でした!

mika

『ふるさとにかえりたい』英語版がマーシャル教育省に寄贈されました

2026年1月21日、『ふるさとにかえりたい』英語版が、マーシャル教育省 公立教育部門(Public School System)に200冊寄贈されました。

寄贈者は、本の著者である島田興生さんと羽生田有紀さんが所属する「ビキニふくしまプロジェクト」です。

『ふるさとにかえりたい』はロンゲラップ環礁で被ばくした女性・リミヨさんの人生を描いた写真絵本です。

おばあちゃんが語りかけるようなやさしい文章と、豊富なロンゲラップの人々の写真で構成されています。

もともとは日本語版のみで出版されましたが、「マーシャルの人々、特に子供たちにも自分たちの国の核実験の歴史を知ってほしい」という願いから、ビキニふくしまプロジェクトが寄付金を集め、英語版の出版が実現したそうです。

今回寄贈された英語版は、マーシャルの公立高校9年生(日本の中学3年生に相当)の英語教材として使用されるとのこと。

今回はMJCCで代理として、寄贈本を教育省へお届けしてきました。

ビキニふくしまプロジェクトの皆さま、本当にありがとうございました!

この本がマーシャルの子供たちの学びに少しでも役立てますように。

※マーシャル諸島教育省 公立教育部門(Public School System)のFacebookページでも紹介されています。下記リンクからご覧いただけます。

https://www.facebook.com/share/p/1GRKRCdUmx/

※『ふるさとにかえりたい』日本語版・英語版ともMJCC、もしくは日本のアマゾンから購入できます。ご興味のあるかたはぜひ。

mika

 

続・ジャルート環礁3泊4日旅行記ーイミエジ島編ー

ヤッコエ!

今回のブログは、前回のジャルート環礁旅行記の続編です。

1日目2日目の様子はひとつ前に戻ってご覧ください。

さて、本日は3日目。滞在中色々と面倒をみてくださったジャルート高校の校長先生が、政府のボートをチャーターして旧日本軍の海軍基地が置かれていたという、イミエジ(imiej)島に行かないかと提案してくれました。

マーシャル諸島在住の身ですが、恥ずかしながらイミエジ島の存在すら知らなかった私たち。頭に疑問符を浮かべながらも、こっからさらに離島にいけるなんてラッキー!面白そう!レッツゴーです!なんて、本当にそれくらいのテンションでした。

だけどこの島、行って驚き。日本人として知っておくべき、非常に意味の深い島です。

午後一番、港に集合。滞在中は本当にお天気に恵まれ、この日も快晴でした。ドキドキしながら出航です。船の準備をしているとき、改めてイミエジ島について聞いてみました。太平洋戦争中ジャパンネイビーがいたんだぞ、と言われてもまだ本当かな?と思っていた私たち。ここより海がきれいなら泳ごう~なんてのんびり話していたほどです。

波は比較的穏やかで、きらきらの海をまっすぐ進んでいきます。ボートで20分ほどと聞いていましたが、実際には4,50分乗っていましたね。途中、イミエジ島到着15分前くらいの地点に寄り、旧日本軍の輸送艦を見せてくれました。

座礁してかなり腐食が進んでいますが、全貌が見えるほどしっかりと船の形が残っています。アメリカからの爆撃を受けて走行不能となり、ここに辿り着いたのだそう。海上から眺めると、その大きさとリアルな質感に息を呑みます。

そしてとうとうイミエジ島上陸!ここでは現在約80名が生活しているそうです。普段暮らしているマジュロが大都会に見えるこの景色。素朴な島の人々に癒されます。

許可をいただいておうちの前も撮影。ココナッツを乾燥させたコプラが燃料としてたくさん保管されています。

港からすぐそばの集落を抜けると、あとはずーっとジャングル。案内人の方に、ジャパンネイビーの基地を見に行くぞ、と改めて言われてなんとなく緊張が走りました。

道なき道を進んでいきます。鳥の声と、ココナッツの葉が風に揺れる音と、私たちの足音以外は何も聞こえません。静かなジャングルです。本当にここにかつて日本軍の基地があったなんて想像が難しいです。

鬱蒼と生い茂る木々の中に突然現れた、おそらく弾薬庫。二重扉がそのまま残っています。中はかなり朽ちていて、天井は崩落の恐れがあるとのことで案内人に奥まで進むことを止められました。あたり一帯は時代から取り残されたような、ものすごい空気を纏っています。まるで映画のセットみたいで、しばらくその場に立ち尽くしました。

こちらもジャングルの中の建物。元はなんだったのか、今はもうわからないそうです。二階建てで、上階部分には折り重なるようにコンクリートの隙間からココナッツが茂っていました。

腕を伸ばして撮った内部の写真。当時はとても立派な佇まいだったのではないかと想像します。積み上がった瓦礫、埃っぽい空間ですがここだけやけに涼しく感じました。

お次は海軍飛行隊の兵舎です。これもまた二階建ての大きな建物。

頭を守りながら少しだけ中へ。

台所でしょうか。かまどらしきものが残っていました。

こちらはお風呂のように見えます。生活空間がありありと残っていて、非常に生々しく、次第に口数が減っていく一同・・・。

島のメインストリートも、当時造られたものだと思います。とにかくジャルート中心街よりもさらに色濃く歴史の痕跡が散りばめられていて、見るもの触れるもの全てをまじまじと観察してしまいました。

まさかこんな展開になるとは夢にも思わず。帰りのボートに揺られながら、あの場所で当時の日本人は一体何を思っていたんだろうと考えずにはいられませんでした。

無事ジャルート本島に戻ってきて、港から眺めた夕陽。教科書ですら見たことのなかった世界を目の当たりにして、戦争や平和について学びを深めた貴重な3泊4日でした。

文章からわかる通り、知識が乏しすぎる私が行っても大変興味深かったのですから、関心がある人にとってはもっともっと楽しめる!おすすめです!と、言いたいところですが・・・なかなかご案内は難しそうです。

最終日、おなじみの国内線エアマーシャルの管理ミスで月曜のフライトから金曜のフライトに振替を打診される私たち。全力で阻止して(本当に全力で)、半泣きでマジュロまで戻りました。そのほか敢えて語りませんがトラブル沢山、イライラ沢山、だけど学びも沢山。何が起こるか分からない離島の旅は多くの優しい方に助けられ、なんとか無事おしまいです。

ジャルートの素敵な道で締めくくり。

お読みいただきありがとうございました!今年も良い年になるといいな~^^

 

やまだ

ジャルート環礁3泊4日旅行記

ヤッコエ!

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!(遅い)

みなさま年末年始のおやすみはどのようにお過ごしになられたのでしょうか、おもちを食べておせちを食べて、良い気分で新しい年を迎えられていたらいいなと思います。

さてさてワタクシはといえば、年始に休暇をいただきまして、念願のジャルート環礁に行ってまいりました!あっという間ながらも非常に濃かった3泊4日、奮ってレポートさせていただきます。

この日は快晴だったこともあり、飛行機の窓一面にまぶしい青が!きれいです~。

見慣れた原っぱに着陸します。もちろんジャルート環礁の滑走路も旧日本軍が造ったもの。

そして空港のゲートへ。お出迎えのみなさんが沢山いらっしゃいました。ヤッコエ!と挨拶すると、ヤッコエ~と笑顔で返してくださいます。

ジャルート環礁の中心街は空港から車で10分ほどの場所です。中心といっても、建物があるのは徒歩片道10分、往復にしても20分くらいの短い距離の中だけ。ここに1,000人強の人々が暮らしているというから驚きです。

早速街歩き!の前に、ホテルにチェックイン。ジャルートにはLieom Jalwo Hotel という比較的綺麗な宿泊施設があります。なんとスターリンクが導入されており、高速インターネット無料!現代っ子大歓喜です。

ホテルの外観です。平屋の大きな建物が中で仕切られているタイプ。

客室の様子。寝具も清潔でした^^

共用ですが簡易キッチン付き。ここでお湯を沸かしていっぱいラーメンを食べました笑

荷物を置いてひとやすみしたら、今度こそ散策に出かけます。ジャルート環礁といえば言わずと知れた旧南洋庁が置かれていた、日本統治時代のマーシャルの中心地。一時は数千人の日本人がこの地で生活を営んでいたともなれば、その足跡を辿り想いを馳せずにはいられません。よし、おさんぽレッツゴー!

まずはホテルのすぐ隣にある、ジャルート無線電信所の跡地へ。ここに限らず全ての場所が、壁や床が剥がれ落ち崩れかけていました。中では地元の家族が暮らしていて、なんと電線を引き入れて電気まで点いてます。

中心街の端には、気象観測所が残っています。2階建ての立派な建物です。

内側の窓枠から外を覗くと、当時の人たちはなにを考えていたのかなあと不思議な気分に。

こちらは飛行機のエンジン?らしきもの。草木が生い茂り、ココナッツが絡みつくように生えていました。

歩き疲れて売店でひとやすみ。島には、3つくらいのスモールストアがありました。

癒しの存在(猫ちゃん)付きのこのお店は、なんとMJCCのスコットサンダルを仕入れて販売もしてくれています。うれしい!

ショーケースに並んでいるのは缶詰や即席めん、お菓子、石鹸などの日用品。生野菜や果物はありませんし、私が行ったときは卵もパンも牛乳も品切れでした。この島の人たち、いったい何を食べて日々暮らしているんだろう・・・釣った魚やココナッツなどなど?

ひんやりするオレンジシャーベットを片手に小休止。ジャルートの海風は少し冷たく、日陰のベンチに寝転ぶとお昼でも肌寒さを感じるほどです。

気象観測所から街の反対側まで歩いてきました。ジャルート高校の敷地内です。これも統治時代の何かだと思います。眺めながらゆったり散歩。

校舎の前ではバスケにいそしむ生徒さんたち。開放的なコートに楽しそうな笑い声が響いていました。

ジャルート高校には400人ほどの学生が在籍しているとのことで、滞在2日目の夜には新年のパーティーも開催され、なんとお呼ばれしてしまいました。

パーティーでのお料理。巻き寿司、ケーキ、フライドチキン、牛肉の煮込み料理、パンの実のふかしたやつ、マカロニサラダ等々・・・前述した食糧事情であるからこそ、どれだけ特別な一皿か身に染みてわかります。なんの縁もゆかりもない私たちをこれでもかともてなしてくださることに若干の心苦しさを感じつつも、ありがたく頂戴しました。マジュロから持ってきた缶詰とラーメンで生活していた胃に、染み渡る美味しさです。思わず無言でひたすらもぐもぐ・・・

プログラムの後半には学生さんによるダンス披露。各種パートにしっかり分かれてのちゃんとしたダンスで、会場から歓声が湧いていました。わかる、友達が踊ってるところって見てるのすんごく楽しいよね。つられて私も楽しい気持ちになりました。

のんびりと、ときどきにぎやかに、ジャルート環礁での1日目と2日目は過ぎていきました。3日目はなんと旧日本海軍の基地があったというジャルートの離島、イミエジ(imiej)島に!

このおはなしもまた濃くて長くなりそうなので、次回に続きます~~^^お楽しみに!

 

やまだ

 

パンダナス

こんにちは。

マーシャルフードの一つ、パンダナス。

パンダナスにはたくさんの種類があるそうです。

今回紹介するのは、その中の一つ、Lojokdad(ラジョコレル)

この種類は生では食べず、茹でて柔らかくして食べるそう。

まずはがっつりと茹でます。

茹でたものをそのまま食べることもできますが、今回は削ります。

パンダナスを削ることをKilok(キロック)と言います。

これがキロックの作業。一粒ずつパンダナスを削っていきます。

鍋いっぱいのパンダナスを削ってできたものがこちら。

マコン(makwon)と言います。

砂糖を入れなくても、とっても甘い。

私もキロックを手伝っていましたが、なかなか時間のかかる作業でした。

これに片栗粉を混ぜるとペルー(peru)という料理になります。

 

ちなみに、マーシャル語では「食べる」がマンガエ(mona)ですが、

「パンダナスを食べる」だけはウォルウォル(wodwod)と言います。

この単語を使えば、あなたもマーシャル人に一目置かれること間違いなし。

 

末松