ココナッツとマーシャル文化

マーシャルのローカルフードで お気軽に試していただけるのは、

ココナッツジュース(椰子の実)です。

「ほかで飲んだことがあるけれど、味が全然ちがう。青臭さがない!」と

マーシャルの新鮮なココナッツに驚かれる方が多いです。

 

暑いときに、とれたばかりの新鮮なココナッツを冷やして飲むと

体に水分がしみわたるようで、何ともおいしいもの。

天然の栄養素も豊富に含まれ、夏バテや熱中症予防に最適のドリンクです。

 

木の種類や、実の熟成具合によって味に少しずつ違いがあり

比較的若い実は、スポーツドリンクのようなさっぱりした味で、

やや熟成した実は、ほどよい天然の甘さがある味です。

 

ローカルのココナッツジュースが飲める場所ですが、

レストランに置いてあることもあるので、 ウェイトレスに聞いて置いてあれば、

レストランでも飲めます。 値段は1つ$1~$2程度です。

他で買うとすれば、街中ではスーパーの野菜売り場に並んでいることもありますし、

ローラ方面に行くと、道端にある店でよく売られています。

離島でローカルにお願いすれば、木に登って取ってくれるかもしれません。

 

昔も今も、ココナッツはマーシャルの身近で万能な食料。

ココナッツは、ジュースを飲むだけでなく、 コプラと呼ばれる実の内側にある白く固い部分を使って

ココナッツミルクを作ったり、 ココナッツオイルを搾取します。

また、ココナッツの葉を編んで、アミモノを作ったり 家の屋根にしたり、

漁に使う網を作ることもできます。

外殻はBBQの燃料にします。

 

ココナッツの外殻をむいた状態

 

日本語や英語に比べて単語数が少ないとされるマーシャル語ですが

ココナッツに関連したマーシャル語は、本当に種類も豊富。

首都マジュロで話されている一例を以下にご紹介します。

 

(日本語)=(マーシャル語)

ココナッツ=ニイ

地面に落ちて茶色くなったココナッツ=ワイニー

ココナッツの葉=キメジ

ココナッツの内殻=ラット

ココナッツの外殻や繊維=ブエオー

熟成したココナッツにできた芽でスポンジ状になった部分=ユ

ココナッツの芽がスポンジ状になった部分に砂糖と水を加えて作ったアイス=ルコル

ココナッツの芽がスポンジ状になった部分を焼いたもの=ウムーン

ココナッツの芽がスポンジ状になった部分を使った、とろみのあるスープ=アイキュー(語源は日本語の”配給”)

ココナッツジュース=ニイ

ココナッツオイル=ピナップ

ココナッツミルク=エル

ココナッツキャンディー=アメタマ(語源は日本語の”飴玉”)

コプラと小麦粉と砂糖で作った料理=ジンガラル

ココナッツと一緒に塩漬けの魚などを食べること=ジェラル

ココナッツミルク味で炊いたご飯=ライスケラル

保存用に加工されたパンの実とココナッツを混ぜた料理=クバル

パンプキンやパンダナスとココナッツを混ぜて蒸し焼きにした菓子=ペル

ココナッツの樹液を発酵させた飲み物=ジャカロー

ジャカローをさらに発酵させたお酒=ジャカマイ
ココナッツはマーシャル文化に重要な役割を果たしていることが伺えます。

 

MIKA

エヌエタック環礁訪問リポート

MJCCスタッフの西村です。
先日テレビ局の取材で行ってまいりましたエヌエタック島のレポートです。
エヌエタック島(日本語文献では”エニウェトク”とかかれることも多いが近い発音は”エヌエタック”)とは・・・

(以下ウィキペディアからの転載)

エニウェトク環礁(Eniwetok Atoll)とは中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁。円周80kmのラグーンとその周囲のおよそ40の島からなり、島の面積は合計6km²以下である。ラリック列島で2番目に西にある環礁で北緯11度30分、東経162度20分に位置する。人口は1990年現在で820人である。

エニウェトク環礁は1794年にイギリスの商船Walpoleが訪れるまでヨーロッパ人には知られていなかった。そして、1885年にドイツ領となるまでにも数十隻しか船は訪れなかった。他のマーシャル諸島の島同様、第一次世界大戦中の1914年に日本が占領する。1920年に日本の委任統治領となり、ブラウン環礁とも呼ばれた。

第二次世界大戦まで日本はこの環礁をほとんど無視していた。1942年11月、日本はEngebi島に飛行場を建設し、これはカロリン諸島や他のマーシャル諸島の島へ向かう飛行機が利用した。ギルバート諸島の陥落後、1944年1月4日に日本陸軍は島の防衛のため海上機動第一旅団を派遣したが、2月のアメリカ軍の侵攻の前に防御を固めることはできず、環礁はアメリカ軍が占領した(エニウェトクの戦い)。

戦後住人は立ち退かされ、環礁は太平洋核実験場の一部となり、1948年から1962年までアメリカ合衆国の核実験に使われた。1948年4月30日のサンドストーン作戦(エックスレイ実験)を皮切りに、1952年には最初の水爆実験アイビー作戦(Operation Ivy)が行われた。

核爆発による雲の調査のため1957年、58年には幾つかのロケットが打ち上げられた。

1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出されたが、30年を経ても島ではヤシの木や穀物が育たなかった。現在も島の北半分は放射能汚染レベルが高く活用できず、南半分で生活している。取り除いた放射能汚染物質をコンクリートで格納したルニットドームも存在する。プルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数は長くて100年であり、すでにひび割れも始まっている。

・・・というわけで壊れたエンジンをとりかえていざ出発です。

dornier

エヌエタック島は遠いので燃料が足りるかドキドキです。
行きか帰りに一度は米軍基地のあるクワジェリン島で給油する必要があります。

さてエネエタック島がみえてきました。

eniwetok

到着すると子供たちがよってきます。
人懐っこいです、都会よりも。
kids

ルニットドームを見るためにはボートをチャーターしなければいけません。
ちなみにチャーターしたのにボートは用意されてませんでした。

走れ、現地人たち!!

燃料空!

こぼれるこぼれる!

refill

30分もするとルニットドームの頭がみえてきました。

runit
→写真 runit2

ルニット島にボートをつけ、ルニットドームを登ってみますと・・・

renit

せっかくキレイな島を台無しにするような外観のルニットドーム。

登って見える光景も異様です。

コンクリートをチェックすると裂け目があり、補修を受けた後がありました。

crack

避けたコンクリートがどれだけの危険をはらんでいるのかはわかりませんが、
一般住民の汚染地域で取れた魚やココナッツを気にせず摂取する危険意識の希薄さは問題です。

来た道を帰るときには二機掛けのアウトボードエンジンのうち一機が停止。
もう一機とまったら遭難だー。

倍の時間かかったもののなんとか空港に到着。
暗くなる前に急いで飛び立ちます。
ばいばい、子供たち。

bye kids

ばいばい、エヌエタック。

bye bye

 

NISHIMURA

RREショアライン

ホテル ロバートレイマーズの敷地内にある RREショアラインです。

マジュロの主要な船着場なので、ボートに乗る人々がよく集まっています。

 

 

 

昨年リニューアルをして、くつろげる居心地のよい場所になりました。

併設されている売店には、飲み物、ビール、軽食など 何でも揃っています。

 

 

 

ローカルの間でおいしいと評判なのが、ここのハンバーガー。

売店で販売している「ハンバーガーミール」というセットは

お好みのハンバーガー、ポテト、ソーダが付いて、$7~$8.5です。

ハンバーガーの種類は、普通のハンバーガーやチーズバーガーなどの他に

フィッシュバーガーもあります。 ローカルに人気の、魚のフライが入ったバーガーです。

 

 

 

足元の海面を上から覗くと、カラフルな熱帯魚が泳いでいるのが見えました。

快晴の日が続いているマジュロです。

 

 

MIKA

ローラビーチ

マジュロの市街地から車で約1時間。

マジュロ島の最南端にあるローラビーチです。

 

1月のある日。引き潮の時間帯には、白い砂浜が広がっていました。

 

シュノーケリングは、もちろんOK。

遠浅のビーチなのでシュノーケリング初心者でも安心。

着替えができる更衣室はありませんが、

トイレと、屋外に設置されたシャワーがあります。

 

泳がない方は、ビーチを散策したり海を眺めたり。

本を持参して、海辺でのんびり読書もいいですね。

 

 

ローラ村にはローカルフードを販売している お店が数軒あります。

帰りに立ち寄った店では、新鮮なココナッツ、ココナッツの中身を使った料理、

バナナ、パパイヤなどが並んでいました。

 

 

☆ローラビーチを訪れるMJCCのオプショナルツアー☆

 

「ローラビーチツアー」

最小催行:2名 、所要時間:3~4時間

 

「マジュロ島内1日観光ツアー」

最小催行:2名 、所要時間:6~7時間

※島内観光ツアーは土曜、日曜、マーシャルの休日には催行しておりません。

 

 

マーシャル諸島での誕生日

先日は弊社マネージャーの誕生日でした。
終業後にスタッフ全員で、ピザとケーキを食べながら
軽く誕生日パーティをしました。

 

 

マーシャル人スタッフが全員でマーシャルの歌を4曲披露。
見事な声量とパート別のハモリで、歌い上げてくれました。
特別にこの日のために練習をしたわけではないのに、、
その場できれいなコーラスができてしまうのが不思議です。
日頃から歌に親しんで生活をしている証でしょうか。

 

 

マーシャルの人々が人生の中で最も盛大にお祝いをするのは
「ケーメン」と呼ばれる1才の誕生日会です。

 

無事に1才の誕生日を迎えられたことを、みんなでお祝いします。

小規模なケーメンでも、招待客が50人以上になるのは当たりまえで、

大規模なケーメンになると300人以上の人がお祝いに集まります。

招待客に振舞うご馳走などを準備する親は、出費も多く大変ですが、

借金をしてでも盛大に行うものなのです。

 

世界保健機関(WHO)が発表した「World Health Statistics 2010(世界保健統計 2010)」によると
乳児の死亡率(年間の1000人出産当たりの生後1年未満の死亡数)は、
日本は1000人中3人で、マーシャル諸島は30人です。
医療水準が上がった現在でも、このような統計が出ています。
昔は、1才の誕生日を迎えられるということが
本当に神に感謝すべき喜ばしいことであったのだと思います。