MIHS職場体験

先週月曜日から、Marshall Islands High Schoolの高校生2名がMJCCで一緒に働いています。
月曜日から木曜日の朝8時から12時まで、主にレジの仕事を担当しています。

メインストアで働いているシャーリーンさん。

MJCCの目玉商品YAMAHA ボートエンジンのあいだから、こんにちわ!

いつもお洒落で笑顔が素敵なシャーリーンさんの
将来の夢は、小学校の先生。
マジュロに住んでいる日本人と話をしてみたくて
学び始めたという日本語で、日本のイメージを聞いてみました。

うーん、としばらく考えたあと、「すし」との答えが。

好きな日本語は?という質問にも、

「わたしのすきなたべものはすしです」

と答えてしまうほどのすし通です。

(※マーシャルで「すし」といえば、手巻き寿司のことです)
グローサリーの店舗では、マジュロからボートで約1時間ほどの場所にある
アルノ環礁出身のネバーさんが働いています。

将来は医者になりたいと夢を語る現在16歳のネバーさん。
7年生を飛び級したので早くも今年の秋から大学生です。

 

アルノ環礁に帰って家族と一緒に暮らせるのは年に二回だけ。
今はマジュロに住む叔父と叔母の家から学校に通うネバーさんの好きな日本語は、
「かぞくがだいすきです」

 

チャチミ(マグロのお刺身)やご飯と一緒に必ずマーシャル人も使うチョーユ(醤油)は
一升瓶の大きさでも販売しています。

ケチャップは主食のサッポロ一番ラーメンに、タバスコと一緒に混ぜて食べるスタイルが一般的です。
そのほかにも、ツナ缶にケチャップを混ぜ、ご飯にのせて食べたり、BBQソースとしても使われます。

 

 

ちょうど先週は、日本からの船便も到着しました。

従業員も楽しみにしていた商品はこちら・・・!

両手に持っている「特選宝焼酎MILD25 900ml」は1本、12ドル50セントで販売しています。
(※マーシャルの法律では18歳から飲酒が認められていますが、アルコールを購入できるのは24歳からです)

 

5月末まで、職場体験は続きます。
MJCCにお越しの際は、ぜひ日本語勉強中のお2人に、日本語で話しかけてみてください。

 

OKAWA

裏道散策

今回は裏道沿いのお店をご紹介します。

場所は、RRE前のメインロードからオーシャン側に1本入ったところです。

ちょうどRREのスーパーフォルモサの裏あたりになります。

 

マジュロの道路は基本的にメインロードの一本道がずっと続いていますが

ダウンタウン地区(MIRのあたりからリタまで)は島の横幅が少し広くなっているので、

裏道が並行して走っています。

ローラ地区も、同様に島の横幅があるので道が2本あります。

裏道も最終的にはメインロードにつながっているので

裏道に入っても迷うことはないと思います。

 

マジュロのメインロード

 

 

RRE付近の裏道沿いには、以下の店があります。

 

手作りピザが評判でランチタイムから営業の酒場、マーシャルアイランド クラブ(MIC)

 

マーシャルで唯一の新聞社マーシャルアイランド ジャーナル

 

ローカルフードがいただけるレストラン、ダール・コーヒーコーナー

 

さて、ローカルストアDAR(ダール)の店内に入ってみましょう。

 

小さな入口のわりに店内は広いです。

食料品・洋服・布地・アミモノの販売の他に、奥にはヘアサロンまであります。

ここのお店で一番力を入れているのは、服。

マーシャルの女性が日常でよく着ているようなワンピースやスカート、

マーシャルデザインのTシャツなどが種類豊富に置いてあります。

 

ウエストがゴムで、涼しくラクなスカート

 

Tシャツコーナー

 

こんなTシャツもありました

現地でさっそく着るもよし、日本で夏の部屋着としても使えそうな服です。

 

ローカル気分が味わえる裏道沿いのお店。

ぜひ訪ねてみてくださいね。

 

MIKA

マーシャルの空港

マジュロの空港の正式名称は、アマタ・カブア国際空港といいます。

マーシャルの建国の父と呼ばれる、初代大統領の名前がつけられています。

 

朝にグアムを出発して、アイランドホッピングで向かわれるお客様が

マジュロに到着される頃には、時刻は夜になっています。

到着した飛行機が見える場所には、このように自然と人が集まります。

 

小さな島国では、飛行機は島の外へ出るための主要な交通手段です。

空港には旅へ出る人、見送る人、到着を迎える人など いつも人々が集まっています。

 

マーシャル出発時、まずは航空会社カウンターでチェックインをし、

荷物を預け、出国税ひとり20ドルを支払います。

そのあとは、飛行機が出発する時刻の約1時間前までに 手荷物検査を終えて

出発ロビーエリアに入ればOKです。

 

空港にはアミモノなど土産品を扱う店がいくつか入っています。

ご出発前にお時間があれば、ぜひ眺めてみてください。

 

空港にはレストランとバーもあります。

レストランは毎日、朝から昼まで営業しているので、

ご出発の前に、こちらで軽く朝食を取ることもできます。

コーヒーは、1杯1ドル。 マジュロでは、薄いアメリカンコーヒーを出す店が多いのですが

ここのコーヒーは濃さもほどよく普通においしいと評判です。

 

空港内レストランの朝食メニュー

 

山盛りのアイスクリーム(1.5ドル)もあります。

 

お酒を飲みたい方は、奥にあるバーで買うことができます。

ジュース類も豊富に揃っています。

 

空港正面には、すぐそこに海が広がっています。

 

Jeramman ilo trip ne am ! よい旅を!

 

MIKA

 

MIRのサンデーブランチ

マーシャルアイランド リゾート内のエンラ レストランでは

毎週日曜日にサンデーブランチを実施しています。

 

時間は午前10時30分から午後2時30分まで、 料金は大人$15.50。

食べ放題のブッフェ形式です。

 

具を選んで、その場でシェフに作ってもらうオムレツ、

オーダーをすると焼いてくれるパンケーキが、 このブッフェで特におすすめです。

パンケーキには、生クリームやイチゴをたっぷりのせて

アメリカンスタイルでいただくのも、いいですね。

 

MIRのサンデーブランチは、ローカルにも人気があります。

この日、お昼頃になると元大統領や国会議員など

マーシャルの有名人が 続々とお店にやってきました。

教会での礼拝を終えてから、来ている人もいました。

 

レストランでは、日曜日の明るくゆったりとした時間が流れていました。

 

MIKA

2012.3.1 ビキニ・デー

ビキニ核実験から58年目を迎えた今年は、
MOH(Ministry of Health)主導による核被爆者追悼記念式典が
首都マジュロの中心街Delap(デラップ)地区に位置する
ICC(International Convention Center)で行われました。

 

前日の夕方、マジュロ病院で10時に式典開催のアナウンスが流れた
という情報を入手したので、10時に会場へ向かったところ、
明らかにまだ準備中の様子。

 

1、2時間の遅れは想定内でも、15時開始の変更にはマーシャルタイムといえどもびっくりです。
(招待状が届いた日本大使館には、最初から15時と連絡があったようです)

せっかく中心街までやって来たので、車で5分ほどの場所にあるビキニ環礁地方政府の事務所へ行ってみました。

事務所前には5、6人のERUB(米国が核被災を認定している4環礁の頭文字をとった名称で、マーシャル語で「破壊」の意)
メンバーのおじさんがおしゃべりをしていました。
今年は被爆者の多くがキリ島(ビキニ退去直後に約1200人が移住)に行っているため、
マジュロでは特にイベントや集会を開かないというのがERUBメンバーの共通認識としてあるように感じました。

年によってはパレードがある(2007年には、数台の車に乗ってクラクションを鳴らしながら
ビキニデーのアピールをしている様子を見ました)が、今年はパレードもないとのこと。

事務所玄関内の壁に飾ってあるブラボーショットの写真や、実験後の島民の写真について解説をしてくれたのは
ビキニ出身の方で、今日は特に何をするわけでもないが、家族で集まってご飯を食べ、お祈りをすると話をしてくれました。

15時半から始まった式典には、政府関係者の出席が目立ち、子どもの姿はほとんどありませんでしたが、
マーシャル短期大学の成績優秀者10人ほどの生徒が、
キャンドルセレモニーで点灯役を務めるために出席していました。

 

海外メディアの姿はなく、日本から前日入りした焼津市のNGO団体と報道陣数人が
ビデオカメラを回しているくらい。
マーシャル国内のテレビ、ラジオ局の中継もありませんでした。

 

お祈り、国歌斉唱の後、米国大使、マーシャル地方政府の議員、外務大臣、
ERUB代表被爆者、4環礁(米国政府が被害があったと認めたビキニ、ロンゲラップ、エネウエタック、ウトリック環礁)
を代表してウトリック環礁代表の5人が順に登壇してスピーチをしました。

 

各スピーチは1人10~15分くらいで、
一番長かったのは意外にも最後に話をしたERUB代表者でした。
スピーチはマーシャル語だったので、英訳の全文が会場に配られました。

<ERUB代表Charles Domnick氏証言スピーチ>
http://www.yokwe.net/index.php?module=News&func=display&sid=2977

 

<式典の様子を伝えるYokwe online記事>
http://www.yokwe.net/index.php?module=News&func=display&sid=2976

 

2007年に私が出席した式典(ビキニ環礁地方政府事務所前でテントを設置して開催)では、
どちらかというと政府関係者が招待されて、ERUBの人たちが主催しているという形だったと記憶しているので、
今年はその構図が逆であることから、ERUBメンバーが招待されている場で
被爆体験を語ることは厳しいだろうと予想していました。
過去には、直前まで被爆体験を話すつもりでも、いざステージに立つと重要な部分を話せなかったり、
被爆体験者のスピーチがプログラムから削除されるといったことがあったそうです。

 

しかし、そんな私の予想は大きく裏切られ、しっかりとした語り口で堂々と当時の記憶を語る様子は、
なんとも言えない緊張感と威厳に満ちていました。

 

スピーチの途中で、「WE WANT JUSTICE」と手書きで書かれた紙を持った男性が前に出て、
しばらくするとステージから会場の中央を通って、後ろの席までゆっくりと紙のメッセージを客席に見せながら歩いていきました。
スピーチ終盤も、今度は別の男性が同じ紙を持ち、中央通路を通ってステージ前に戻りました。

 

そして、客席に身体を向けた瞬間、
突然感極まった嗚咽と共に泣き崩れ、顔を覆いながらしばらく震えが止まらず身悶える様子に、
会場は一瞬時が止まったような静けさに包まれました。

 

スピーチが終わっても、男性は米国大使に紙を見せるように身体を向けたまま、
司会者が話をするまでなかなかステージから降りようとしない姿にも、
無言の抵抗を強く感じました。

 

その後、キャンドルセレモニーが行われ、スクリーンには核実験当時の映像や
今も放射能の脅威が残る様子を伝えるスライドが流れました。
実験後、米国兵が島民の健康調査をする様子など、米国兵の活躍を主張するようなスライドが多いかと思えば、
すさまじい実験映像の合間に、マーシャルの美しい島の映像が挟まれるような編集に
愛国心を彷彿とさせるようなものも感じました。
映像がどのような立ち位置から作られたものか知りたかったので、映像制作者を尋ねたところ、
MOHでデータ管理をしているマーシャル在住9年目の
フィリピン人女性が映像を作成していました。
彼女は今年でセレモニー用の映像を作るのは3度目で、特に今年は他の核実験との比較をすることで、
ビキニ被害の甚大さを伝えたかったと話をしていました。

 

約2時間半の会が終了した後は、ロビーでサンドイッチが配られ、歓談する人たちで溢れていましたが、
米国大使の姿は見えませんでした。

 

OKAWA