エジット島を訪問

3月7日、マジュロにあるエジット島を訪問しました。島を訪問するには、エジットの方から招待され、ビキニ政府市長の許可がないと訪問できません。この日はビキニの人々が故郷の島を追われて80年目にあたるビキニデーの式典がエジットで行われ、それに招待され参加してきました。

エジット島は、核実験で故郷のビキニ環礁を追われたの人々とその子孫、約250人が暮らす島です。ビキニ環礁の人々はキリ島にも暮らしています。核実験終了後にアメリカによる除染が行われ、人々は一度ビキニへ戻りましたが、安全性に問題があるとして再び避難を余儀なくされました。その際にキリ島へ戻りたくない人々はエジットに移り住んだとのこと。マーシャル諸島のすべての土地は伝統的首長(イロージ)が所有しています。しかし、エジット島はドイツ統治時代にドイツ政府がイロージから購入して土地の所有権を持っていた例外的な島で、その後マーシャル政府の所有になっていたため、借地代を払うことなく自由に暮らせる避難先の島として選ばれました。ビキニ環礁の人々は、マーシャルのキリ島、エジット島以外にも、アメリカ・アーカンソー州のスプリングデール、ワシントン州のスポケーン、ハワイ島のヒロにもまとまって移住しており、元々1つの島で暮らしていた人々は現在は離れ離れで暮らしているとのことです。

さて、エジットへ行く際はリタの端にある民家裏の船着場から、エジットの方のボートに乗せてもらいます。小さいビーチから直接船に乗り込むので、足元は濡れてもよいサンダルで行くのが正解です。ボートで約10分程でエジット島に到着です。

リタの端にある船着場

エジット島

住民のボートに乗せていただき、移動

エジットの船着場には、日本政府の援助で建てられた島の集会場がありました。20分あれば歩いて一周できるぐらいの小さい島ですが、住居のほかに、小学校、教会、警察署もあります。

 

エジットでのビキニデーの式典には、Jibok市長やビキニ選出国会議員で文化・内務大臣のGasper大臣も出席。80年前、核実験のためにビキニを離れざる得なかった住民は167名。そのうち現在もご存命なのは、7名のみだそうです。

式典では「すべての人安心して島へ戻れる日が来るまで、核実験による影響は終わらない」と強く訴えていました。

スピーチをするビキニ市長

 

mika

 

 

 

 

 

 

週末イベント情報 Majuro DayとNuclear Day

今週末2/27(金)から3/3(火)まで、マジュロで行われるイベント情報をお知らせします。

■2月27日(金)・28日(土)マジュロデー

マジュロ市を祝うイベントがリタにあるTrack&Fieldにて終日、開催されます。

各種スポーツ競技や食べ物販売の出店、28日午後7時からはバンドとビートダンスコンテストが開催される予定です。

■3月2日(月)核被害者追悼日

パレードと政府公式式典が開催されます。リタにあるTrack&Fieldにて午前9:00~

■3月3日(火)USP(南太平洋大学マジュロ分校)にて、Nuclear Legacy トークセッションが開催されます。午前9:00~

キリバス、カザフスタン、フレンチポリネシアからも、会場もしくはオンラインで登壇者が参加予定とのことです。

これらのイベントは誰でも自由に参加できますので、ご興味があればぜひ参加してみてください!

 

mika

米国沿岸警備隊の船へ社会科見学

先週、中学生の息子の社会科見学に同行する機会がありました。

前日に校長先生から保護者あてにメールが届きました。学校のスクールバスが故障してしまい、生徒を運ぶために車を出してくれる保護者を急きょ募集しているとのこと。それならばと協力し、ついでに生徒の付き添いとして社会科見学にも参加させてもらいました。

今回の見学先は、マジュロに寄港していた米国沿岸警備隊の船、Juiperです。

この船はブイテンダー(buoy tender)と呼ばれるもので、航路標識である“ブイ(浮標)”を設置・点検・交換するための専門作業ができる船です。 今回はマジュロ環礁の切れ目にある、コンテナ船や大型船がマジュロのラグーンに出入りするための水路、カロリンパスに新しいブイを設置しに来てくれたそうです。

沿岸警備隊の方の説明によると、この船はブイの設置だけでなく、海で悪いことをしている船や人がいれば、パトカーのような高速ボートを降ろして対応することもあるそうです。

船には重量のあるブイを持ち上げられる大きなクレーンが搭載されていました。ハワイから来た船とのことで、クレーンに書かれたイラストにもハワイらしさが感じられました。

生徒たちは船の設備や、沿岸警備隊の方の案内で、船内や操舵室などを見学しました。

カフェテリアを見学したときのこと。中学生男子たちが「あんなところにニンテンドースイッチが置いてある!」と目ざとく見つけて喜んでいました。「長い航海で任務を遂行するのは大変な仕事ですが、私たちも人間なので休息が必要です。休み時間にはこのカフェテリアでビデオゲームをすることもあります」と説明してくれました。カフェテリアには、コーラが出てくるドリンクバーのようなコーナーもあり、アメリカらしいカジュアルな雰囲気でした。

楽しい社会科見学でした!

mika

『ふるさとにかえりたい』英語版がマーシャル教育省に寄贈されました

2026年1月21日、『ふるさとにかえりたい』英語版が、マーシャル教育省 公立教育部門(Public School System)に200冊寄贈されました。

寄贈者は、本の著者である島田興生さんと羽生田有紀さんが所属する「ビキニふくしまプロジェクト」です。

『ふるさとにかえりたい』はロンゲラップ環礁で被ばくした女性・リミヨさんの人生を描いた写真絵本です。

おばあちゃんが語りかけるようなやさしい文章と、豊富なロンゲラップの人々の写真で構成されています。

もともとは日本語版のみで出版されましたが、「マーシャルの人々、特に子供たちにも自分たちの国の核実験の歴史を知ってほしい」という願いから、ビキニふくしまプロジェクトが寄付金を集め、英語版の出版が実現したそうです。

今回寄贈された英語版は、マーシャルの公立高校9年生(日本の中学3年生に相当)の英語教材として使用されるとのこと。

今回はMJCCで代理として、寄贈本を教育省へお届けしてきました。

ビキニふくしまプロジェクトの皆さま、本当にありがとうございました!

この本がマーシャルの子供たちの学びに少しでも役立てますように。

※マーシャル諸島教育省 公立教育部門(Public School System)のFacebookページでも紹介されています。下記リンクからご覧いただけます。

https://www.facebook.com/share/p/1GRKRCdUmx/

※『ふるさとにかえりたい』日本語版・英語版ともMJCC、もしくは日本のアマゾンから購入できます。ご興味のあるかたはぜひ。

mika

 

続・ジャルート環礁3泊4日旅行記ーイミエジ島編ー

ヤッコエ!

今回のブログは、前回のジャルート環礁旅行記の続編です。

1日目2日目の様子はひとつ前に戻ってご覧ください。

さて、本日は3日目。滞在中色々と面倒をみてくださったジャルート高校の校長先生が、政府のボートをチャーターして旧日本軍の海軍基地が置かれていたという、イミエジ(imiej)島に行かないかと提案してくれました。

マーシャル諸島在住の身ですが、恥ずかしながらイミエジ島の存在すら知らなかった私たち。頭に疑問符を浮かべながらも、こっからさらに離島にいけるなんてラッキー!面白そう!レッツゴーです!なんて、本当にそれくらいのテンションでした。

だけどこの島、行って驚き。日本人として知っておくべき、非常に意味の深い島です。

午後一番、港に集合。滞在中は本当にお天気に恵まれ、この日も快晴でした。ドキドキしながら出航です。船の準備をしているとき、改めてイミエジ島について聞いてみました。太平洋戦争中ジャパンネイビーがいたんだぞ、と言われてもまだ本当かな?と思っていた私たち。ここより海がきれいなら泳ごう~なんてのんびり話していたほどです。

波は比較的穏やかで、きらきらの海をまっすぐ進んでいきます。ボートで20分ほどと聞いていましたが、実際には4,50分乗っていましたね。途中、イミエジ島到着15分前くらいの地点に寄り、旧日本軍の輸送艦を見せてくれました。

座礁してかなり腐食が進んでいますが、全貌が見えるほどしっかりと船の形が残っています。アメリカからの爆撃を受けて走行不能となり、ここに辿り着いたのだそう。海上から眺めると、その大きさとリアルな質感に息を呑みます。

そしてとうとうイミエジ島上陸!ここでは現在約80名が生活しているそうです。普段暮らしているマジュロが大都会に見えるこの景色。素朴な島の人々に癒されます。

許可をいただいておうちの前も撮影。ココナッツを乾燥させたコプラが燃料としてたくさん保管されています。

港からすぐそばの集落を抜けると、あとはずーっとジャングル。案内人の方に、ジャパンネイビーの基地を見に行くぞ、と改めて言われてなんとなく緊張が走りました。

道なき道を進んでいきます。鳥の声と、ココナッツの葉が風に揺れる音と、私たちの足音以外は何も聞こえません。静かなジャングルです。本当にここにかつて日本軍の基地があったなんて想像が難しいです。

鬱蒼と生い茂る木々の中に突然現れた、おそらく弾薬庫。二重扉がそのまま残っています。中はかなり朽ちていて、天井は崩落の恐れがあるとのことで案内人に奥まで進むことを止められました。あたり一帯は時代から取り残されたような、ものすごい空気を纏っています。まるで映画のセットみたいで、しばらくその場に立ち尽くしました。

こちらもジャングルの中の建物。元はなんだったのか、今はもうわからないそうです。二階建てで、上階部分には折り重なるようにコンクリートの隙間からココナッツが茂っていました。

腕を伸ばして撮った内部の写真。当時はとても立派な佇まいだったのではないかと想像します。積み上がった瓦礫、埃っぽい空間ですがここだけやけに涼しく感じました。

お次は海軍飛行隊の兵舎です。これもまた二階建ての大きな建物。

頭を守りながら少しだけ中へ。

台所でしょうか。かまどらしきものが残っていました。

こちらはお風呂のように見えます。生活空間がありありと残っていて、非常に生々しく、次第に口数が減っていく一同・・・。

島のメインストリートも、当時造られたものだと思います。とにかくジャルート中心街よりもさらに色濃く歴史の痕跡が散りばめられていて、見るもの触れるもの全てをまじまじと観察してしまいました。

まさかこんな展開になるとは夢にも思わず。帰りのボートに揺られながら、あの場所で当時の日本人は一体何を思っていたんだろうと考えずにはいられませんでした。

無事ジャルート本島に戻ってきて、港から眺めた夕陽。教科書ですら見たことのなかった世界を目の当たりにして、戦争や平和について学びを深めた貴重な3泊4日でした。

文章からわかる通り、知識が乏しすぎる私が行っても大変興味深かったのですから、関心がある人にとってはもっともっと楽しめる!おすすめです!と、言いたいところですが・・・なかなかご案内は難しそうです。

最終日、おなじみの国内線エアマーシャルの管理ミスで月曜のフライトから金曜のフライトに振替を打診される私たち。全力で阻止して(本当に全力で)、半泣きでマジュロまで戻りました。そのほか敢えて語りませんがトラブル沢山、イライラ沢山、だけど学びも沢山。何が起こるか分からない離島の旅は多くの優しい方に助けられ、なんとか無事おしまいです。

ジャルートの素敵な道で締めくくり。

お読みいただきありがとうございました!今年も良い年になるといいな~^^

 

やまだ