92歳のお誕生日会

先週末、MJCCの元従業員で、ケサイ・ノート元大統領の義父である カナメさんの

92歳の誕生日パーティーが開催されました。

カナメさんは日本人の父を持ち、日本の統治時代に日本の教育を受けた世代です。

日本語を話すことはもちろん、読み書きも日本人と変わらないレベルで出来ます。

 

カナメさんの娘さんが、お店に招待状を持ってきてくれました。

若かりし頃のカナメさんの写真入りカードです。

MJCCマネージャーとスタッフ一同を招待してくださいました。

 

 

招待状にはパーティー開始時刻は、夜7時からとありました。

30分遅れて7時半に会場に着きましたが、まだこのような感じです。

ほぼ誰も来ていません・・・。 マーシャリーズタイムですから、気長に待つことにします。

 

徐々に人が集まり、夜9時過ぎにパーティーはスタートしました。

家族の方に支えられて、主役のカナメさんの入場です。

 

挨拶や神父さんのお祈りのあとは ステージで余興のダンスが始まりました。

 

お食事もいただきました。

BBQ、スシ、パンの実の料理、ココナッツの料理など ローカルフードのフルコースです。

 

海がめもありました。

今日は大変なご馳走です。

 

MJCCのローカルスタッフも会場に来ていました。

 

ひ孫たちは日本語がプリントされている、お揃いのバースデーTシャツを着ていました。

 

会場には300人ほど集まり、とても盛大でした。

パーティーは午前3時頃まで続いたようです。

 

カナメさん、これからもどうぞお元気で!

 

MIKA

ローカルBBQ食べあるき

マーシャル人の誰もが大好きなものといえば、BBQ!

 

休日にみんなでピクニックに行くとBBQ、 パーティーや誕生日会でも必ずBBQがあります。

街中ではお昼頃になると、BBQプレートが売られています。

マーシャルのBBQは下味をつけた肉を焼くスタイル。

肉は醤油の味付けで日本人に口にも合います。

 

今回はマジュロで買うことができる主なBBQプレートを食べ比べてみました。

 

まずは、ウリガ地区にあるウリガ教会前のBBQです。

ここはRREから徒歩8分、ウリガ・インから徒歩1分の場所です。

 

時刻は午前11時30分。 BBQは、どのお店も昼の11時半というのが開店の目安です。

それより早い時間に行くと、まだできていない事が多いのでご注意ください。

売り切れ次第お店を閉めますので、だいたい午後3時頃まで販売しています。

 

さて、もう焼けて準備ができているようなので、買ってきました。

 

BBQプレートは、1つ3ドルでした。

ウリガ教会のBBQプレートはサイドディッシュに 日替わりでローカルフードが入っていることが特徴です。

この日は、チキンとポークスペアリブのBBQに、

パンの実を使ったローカルフード3品とご飯という内容でした。

ローカルフードをいろいろ食べてみたい方には、いいかもしれません。

 

 

次は、同じくウリガ地区にあるモモタローストアのBBQです。

MJCCから車で2分ほどのところにあります。

大きな看板が出ているお店なのでわかりやすいですが ホテルから歩いて行くには、

やや距離があるので タクシーやレンタカーで買いにくるのがよいと思います。

 

値段は1つ4ドルです。 モモタローBBQは、味とボリュームに評判があります。

BBQは醤油の濃い目の味付けでおいしいです。

MJCCスタッフもモモタローBBQのファンで、 週に1度は食べたくなり、買ってしまいます。

毎日”ミスターBBQ”という名のおじさんが、肉をジューシーに焼き上げています。

 

この日のプレートは、チキンとポークスペアリブのBBQに ご飯と、

サイドディッシュにマカロニとキャベツキムチが入っていました。

※追記:モモタローBBQは2013年4月以降、休業中です。

 

次は、デラップ地区、デラップ小学校向かいに出ている 串刺しBBQのお店です。

場所はMIRから空港方面に徒歩5分。

制服の黄色いTシャツを着た子どもたちが多くいるあたりの 、テントの下です。

BBQ1串(ライスつき)で、1.5ドルでした。

ターキーテイルのBBQなので、お肉に若干脂身が多いです。

付いてきたライスは、ココナッツをまぶしたローカルおにぎりが2つでした。

ココナッツおにぎりは少し甘いので、ご飯が甘いことに日本人は驚いてしまいますが

“おはぎ”のようなものだと思えば、やさしい味のような気がします。

 

以上、3軒のローカルBBQをご紹介しました。

ぜひ街中でマーシャルのBBQをお試しください。

 

MIKA

 

散歩~MIR周辺

マーシャル語で「散歩」は、「チャンポ」と言います。

日本語が語源となったマーシャル語です。

道端でマーシャル人に会ったときに「何しているの?」と聞くと 、

「チャンポ、チャンポ!」との答えがよく返ってきます。

「チャンポ」は、日常で頻繁に使われている単語です。

平日の午後、マーシャルアイランド リゾート(MIR)の近所を 散歩してみました。

MIRから空港方面に歩いていくと、ホテルの脇に売店が出ていました。

日本でいうと、農作物の産地直売所という感じです。

この売店は不定期ですが、お昼から午後4時頃までローカルフードを販売しています。

通常は、ローラまで行かないと手に入らないものも並んでおり、

ローカルフードを買い求める人が次々に立ち寄っていました。

新鮮なココナッツジュースは1つ¢50でした。お買い得です。

MIRの向かいには”マッコー ビルディング”という緑色の政府の建物があります。

1Fに”アイランドカフェ”というコーヒーショップと

“コピーマスター”というオフィス用品を扱う文具店が入っています。

コピーマスターに入ってみました。

店内はアメリカの文房具や、ハワイアンテイストの小物、

PC、デジカメなどの精密機器や周辺機器が置いてあります。

マーシャルでは珍しく、日本のキャラクター商品の品揃えが充実。

日本からアメリカに渡り、そこからマーシャルに来たキティちゃんです。

マーシャルの街の空気が感じられた午後のチャンポでした。

MIKA

ココナッツとマーシャル文化

マーシャルのローカルフードで お気軽に試していただけるのは、

ココナッツジュース(椰子の実)です。

「ほかで飲んだことがあるけれど、味が全然ちがう。青臭さがない!」と

マーシャルの新鮮なココナッツに驚かれる方が多いです。

 

暑いときに、とれたばかりの新鮮なココナッツを冷やして飲むと

体に水分がしみわたるようで、何ともおいしいもの。

天然の栄養素も豊富に含まれ、夏バテや熱中症予防に最適のドリンクです。

 

木の種類や、実の熟成具合によって味に少しずつ違いがあり

比較的若い実は、スポーツドリンクのようなさっぱりした味で、

やや熟成した実は、ほどよい天然の甘さがある味です。

 

ローカルのココナッツジュースが飲める場所ですが、

レストランに置いてあることもあるので、 ウェイトレスに聞いて置いてあれば、

レストランでも飲めます。 値段は1つ$1~$2程度です。

他で買うとすれば、街中ではスーパーの野菜売り場に並んでいることもありますし、

ローラ方面に行くと、道端にある店でよく売られています。

離島でローカルにお願いすれば、木に登って取ってくれるかもしれません。

 

昔も今も、ココナッツはマーシャルの身近で万能な食料。

ココナッツは、ジュースを飲むだけでなく、 コプラと呼ばれる実の内側にある白く固い部分を使って

ココナッツミルクを作ったり、 ココナッツオイルを搾取します。

また、ココナッツの葉を編んで、アミモノを作ったり 家の屋根にしたり、

漁に使う網を作ることもできます。

外殻はBBQの燃料にします。

 

ココナッツの外殻をむいた状態

 

日本語や英語に比べて単語数が少ないとされるマーシャル語ですが

ココナッツに関連したマーシャル語は、本当に種類も豊富。

首都マジュロで話されている一例を以下にご紹介します。

 

(日本語)=(マーシャル語)

ココナッツ=ニイ

地面に落ちて茶色くなったココナッツ=ワイニー

ココナッツの葉=キメジ

ココナッツの内殻=ラット

ココナッツの外殻や繊維=ブエオー

熟成したココナッツにできた芽でスポンジ状になった部分=ユ

ココナッツの芽がスポンジ状になった部分に砂糖と水を加えて作ったアイス=ルコル

ココナッツの芽がスポンジ状になった部分を焼いたもの=ウムーン

ココナッツの芽がスポンジ状になった部分を使った、とろみのあるスープ=アイキュー(語源は日本語の”配給”)

ココナッツジュース=ニイ

ココナッツオイル=ピナップ

ココナッツミルク=エル

ココナッツキャンディー=アメタマ(語源は日本語の”飴玉”)

コプラと小麦粉と砂糖で作った料理=ジンガラル

ココナッツと一緒に塩漬けの魚などを食べること=ジェラル

ココナッツミルク味で炊いたご飯=ライスケラル

保存用に加工されたパンの実とココナッツを混ぜた料理=クバル

パンプキンやパンダナスとココナッツを混ぜて蒸し焼きにした菓子=ペル

ココナッツの樹液を発酵させた飲み物=ジャカロー

ジャカローをさらに発酵させたお酒=ジャカマイ
ココナッツはマーシャル文化に重要な役割を果たしていることが伺えます。

 

MIKA

エヌエタック環礁訪問リポート

MJCCスタッフの西村です。
先日テレビ局の取材で行ってまいりましたエヌエタック島のレポートです。
エヌエタック島(日本語文献では”エニウェトク”とかかれることも多いが近い発音は”エヌエタック”)とは・・・

(以下ウィキペディアからの転載)

エニウェトク環礁(Eniwetok Atoll)とは中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁。円周80kmのラグーンとその周囲のおよそ40の島からなり、島の面積は合計6km²以下である。ラリック列島で2番目に西にある環礁で北緯11度30分、東経162度20分に位置する。人口は1990年現在で820人である。

エニウェトク環礁は1794年にイギリスの商船Walpoleが訪れるまでヨーロッパ人には知られていなかった。そして、1885年にドイツ領となるまでにも数十隻しか船は訪れなかった。他のマーシャル諸島の島同様、第一次世界大戦中の1914年に日本が占領する。1920年に日本の委任統治領となり、ブラウン環礁とも呼ばれた。

第二次世界大戦まで日本はこの環礁をほとんど無視していた。1942年11月、日本はEngebi島に飛行場を建設し、これはカロリン諸島や他のマーシャル諸島の島へ向かう飛行機が利用した。ギルバート諸島の陥落後、1944年1月4日に日本陸軍は島の防衛のため海上機動第一旅団を派遣したが、2月のアメリカ軍の侵攻の前に防御を固めることはできず、環礁はアメリカ軍が占領した(エニウェトクの戦い)。

戦後住人は立ち退かされ、環礁は太平洋核実験場の一部となり、1948年から1962年までアメリカ合衆国の核実験に使われた。1948年4月30日のサンドストーン作戦(エックスレイ実験)を皮切りに、1952年には最初の水爆実験アイビー作戦(Operation Ivy)が行われた。

核爆発による雲の調査のため1957年、58年には幾つかのロケットが打ち上げられた。

1970年代に住民が島に戻り始めた。1977年5月15日、アメリカ政府は汚染された土壌などの除去を開始した。そして1980年に安全宣言が出されたが、30年を経ても島ではヤシの木や穀物が育たなかった。現在も島の北半分は放射能汚染レベルが高く活用できず、南半分で生活している。取り除いた放射能汚染物質をコンクリートで格納したルニットドームも存在する。プルトニウムの半減期は2万4000年だが、コンクリートの耐用年数は長くて100年であり、すでにひび割れも始まっている。

・・・というわけで壊れたエンジンをとりかえていざ出発です。

dornier

エヌエタック島は遠いので燃料が足りるかドキドキです。
行きか帰りに一度は米軍基地のあるクワジェリン島で給油する必要があります。

さてエネエタック島がみえてきました。

eniwetok

到着すると子供たちがよってきます。
人懐っこいです、都会よりも。
kids

ルニットドームを見るためにはボートをチャーターしなければいけません。
ちなみにチャーターしたのにボートは用意されてませんでした。

走れ、現地人たち!!

燃料空!

こぼれるこぼれる!

refill

30分もするとルニットドームの頭がみえてきました。

runit
→写真 runit2

ルニット島にボートをつけ、ルニットドームを登ってみますと・・・

renit

せっかくキレイな島を台無しにするような外観のルニットドーム。

登って見える光景も異様です。

コンクリートをチェックすると裂け目があり、補修を受けた後がありました。

crack

避けたコンクリートがどれだけの危険をはらんでいるのかはわかりませんが、
一般住民の汚染地域で取れた魚やココナッツを気にせず摂取する危険意識の希薄さは問題です。

来た道を帰るときには二機掛けのアウトボードエンジンのうち一機が停止。
もう一機とまったら遭難だー。

倍の時間かかったもののなんとか空港に到着。
暗くなる前に急いで飛び立ちます。
ばいばい、子供たち。

bye kids

ばいばい、エヌエタック。

bye bye

 

NISHIMURA