遺骨収集調査のお手伝いで、ウォッジェ環礁に行ってきました。

旧日本軍のマーシャル諸島全体での戦没者数は約2万人、まだ見つかっていない遺骨柱数は約1万6千柱あります。そのうちウォッジェ環礁で亡くなった方が約2900人、見つかっていない遺骨柱数は約2700柱と言われています。
日本政府は平成28年に遺骨収集を「国の責務」と記した戦没者遺骨収集推進法を成立させ、36年度までの9年間を遺骨収集の「集中実施期間」と規定しました。埋葬地を知る関係者が減り、年々情報が少なくなるなかで、今回はウォッジェでの遺骨収集調査に現地コーディネーターとして同行させていただきました。


いつものドルニエ。写真はウォッジェ到着時。
エアマーシャルは今回も時間通り飛んでくれました!


ウォッジェ環礁南側。旧日本軍の沈船が見えます。

 


ウォッジェ環礁ウォッジェ島。写真の右左が南北になります。

 


飛行場すぐ近くにあるプロペラとエンジン。
今回参加されていた詳しい方によれば、プロペラのサイズからおそらく艦上攻撃機天山のものではないかとのことです。

 


島の北西にあるNorthen Island High School。マーシャルの公立高校ですが、校舎の一部に戦時中の建物をそのまま利用しています(写真の建物の裏側には新しく建てられたきれいな建物もあります)。

 


発電所跡。コンクリートの壁がはがれそうになってます。あと数年もしたら崩壊してしまうんでしょうか。日本なら間違いなく立ち入り禁止です。

 


でも中に入りました。崩落しそうな天井を、巨大な発動機が支えています。

 


魚雷置き場?この台はあまり錆びていませんでした。押しても引いてもびくともしません。

 

トーチカ。米軍が来ると思われた島の東南方向を向いています。ちなみに入り口のドアは電動だったそうです。

 


トーチカ内部には銃弾がばらばらと落ちていました。

他にもう一箇所トーチカがありました。内部はほとんど同じ構造で、詳しい方曰く「パラオにあるものと同じ構造」だそうです。規格があったんでしょうね。

長くなりましたので次回に続きます。

SATO

マーシャル人のファミリーネームに残る日本

先日、某レセプションに招待されて出席してきました。その席で、マーシャルの財務大臣が日本とマーシャルとの関係について触れ、マーシャル人にとって、いかに日本が身近な存在かという例えに、自分は「ワセ」、奥さんの旧姓は「ウエノ」、いとこは「カミナガ」だと、日系のファミリーネームについて話をしていました。
マーシャル諸島は1914年から約30年間(1920年からは国際連盟の委任統治)、日本によって統治されていました。1944年にアメリカ軍が占領するまでの間、マーシャル諸島を含む南洋群島は日本の一部だったわけです。南洋群島全体で約9万人の日本人が移り住んでいたといわれています。当時南洋庁が置かれたジャルート環礁は、日本からの距離が遠かったため日本からの移住者は少なかったといわれていますが、それでも680人と記録されています。現在マーシャルにいる日本人が50人前後ですから、それと比べるとかなりの人数ですね。またこれとは別に約2万人の日本兵が駐在していました。このように当時滞在していた日本人との関係の名残が、日系マーシャル人のファミリーネームに残っているのですね。
ちなみに前述の他に「ミズタニ」「ナカムラ」「サトウ」「カネコ」「ヤマムラ」「ミヤゾエ」「マタヨシ」等々、さらには「モモタロー」「キンタロー」「チュータロー」等のファミリーネームがあります。同じ苗字の方はマーシャルにいらした際に名乗り出てみてください。マーシャル人から歓迎されること間違いなしです。

SATO

ウリガ地区に新しいレストランができました!

ウリガ地区に新しくできた中華料理店の紹介です。
新しくできたレストラン「アイランドスター」は、ウリガ地区、オフィスマートというお店の向かいにあります。ラグーン側です。
店内はそこそこきれいで料理もおいしいのですが、このお店の特長は何と言ってもメニューにあります。日本語訳が付いていて、その翻訳が絶妙でした。

お立ち寄りの際は是非「秘密のアヒル」に挑戦してみてください。

SATO

マジュロの夕焼け

現在マジュロに到着するユナイテッドの便は、グアム発ホノルル行きが月水金日、ホノルル発グアム行きが月火木土、合計週8本あります。
ホノルル行きの4本のうち、水曜日の便はコスラエに止まらないため、他の日より30分ほど早く到着します。時間通りもしくはそれより早い到着ですと、ちょうど日没時で、天気が良ければきれいな夕焼けを見ることができます。空港周辺は周りに建物が何もないので、なかなか壮大な景色で、おすすめです。

夕焼けは雲の動きなどですぐに雰囲気が変わってしまうので写真を撮るのが難しいですが、MJCCのお店の前も隠れた撮影スポットですので、こちらもおすすめです。

SATO

平成30年度ミクロネシア諸島自然体験交流事業で、日本から小学生たちがやってきました!

日本からの観光客もそれほど多くないマーシャル諸島ですが、年に一度、日本から小学生の団体がやってくるイベントがあります。独立行政法人国立青少年教育振興機構主催の「ミクロネシア諸島自然体験交流事業(以下、交流事業)」に参加する子供たちです。

「交流事業」のプログラムは6月にマーシャル他ミクロネシアの国々からの子供たちが日本を、7月に日本の子供たちがミクロネシアの国々を訪問し、離島での宿泊やホームステイなどを通じて自然の素晴らしさや共存することの大切さを学ぶプログラムです。ここ数年、MJCCでもマーシャルでの滞在のお手伝いさせていただいてます。今回はその子供たちがマジュロを訪問した時の様子をご紹介します。

空港に到着した子供たち。慣れない長旅で疲れた様子でしたが、日本を訪問したマーシャルの子供たちの歓迎に笑顔が復活します。さらにヒルダ・ハイネ大統領と一緒に記念写真を撮るというサプライズもありました。

ウリガドックから水産庁の船でカロリン島へ出発。
天気は快晴!この日はそのままカロリン島で宿泊。

カロリンから戻った翌日はピースパークを見学。
公共事業省の大臣と記念撮影した後、大使館の岩田さんから追悼碑や遺骨の収集状況などの説明を受けました。

その後はマーシャル人家族の家でホームステイ。出発前は緊張で表情の硬くなっている子もいましたが、最終日のお別れ会ではみんな号泣!楽しい時間を過ごせたようです。

日程が詰まっていて大急ぎの一週間でしたが、参加した子供たちは日本では得がたい経験をすることができたのではないでしょうか。ぜひまたお越しください!