マーシャルの「アミモノ」その2

昔からマーシャルではヤシの葉やパンダナスの葉でいろいろなものが作られてきました。これらのハンディクラフトは「アミモノ」と呼ばれ、現在でも生活の品やお土産としてマーシャル人の生活に欠かせないものとなっています。前回に引き続き、その一部をご紹介します。

今回紹介するのは「オボン(obon)」と呼ばれるアミモノです。「オボン」は日本語由来の言葉といわれていますが、日本の「お盆」と同じようには使いません。「オボン」は壁に掛ける飾りの総称のようです。

一般的な円形のオボンです。幾何学的な網目模様がきれいです。

下の写真は亀の形のオボンです。亀はマーシャル人に人気のモチーフですが、日本人としてはこの形をオボンと呼ぶことに若干の抵抗を感じます。「オボン」は壁に掛ける飾りの総称ですから亀でも「オボン」です。他に魚の形やエンジェルの形などいろいろありますが全て「オボン」です。

オボンの良いところは薄いのでスーツケースに入れてもこわれにくく持ち運びしやすく、その上存在感が大きいという点です。マーシャルに来たら是非お気に入りのオボンを探してみましょう!

SATO

マーシャルの「アミモノ」その1

昔からマーシャルではヤシの葉やパンダナスの葉でいろいろなものが作られてきました。これらのハンディクラフトは「アミモノ」と呼ばれ、現在でも生活の品やお土産としてマーシャル人の生活に欠かせないものとなっています。今日はその一部をご紹介します。

まずは伝統的なものから。


ジャキ(jaki)、ジャキマットと呼ばれる敷物です。90x180cmのものがシングル、180センチ四方のものがダブルと呼ばれます。かなり昔から、それこそ「アミモノ」という名前になる前から作られていたもので、当時はこれを体に巻いて服として使用することもあったそうです。私の家にもありますが、この上で昼寝をすると日本の畳のような感じで気持ちが良いです。


上の写真はマーシャル式カヌーの模型です。三角帆に小さい双胴があるのが特徴で、太平洋で一番早いカヌーと言われています。昔はさまざまな大きさのカヌーが作られ、大きいものは50人くらいが乗れるものもあったそうです。
実物のカヌーを作れる人は現在ではだいぶ減っているようですが、WAMという団体が若者向けに教えており、カヌーの製作技術を残そうとしています。またWAMでは作ったカヌーに乗せてもらうこともできます。

参考リンク:Waan Aelõñ in Majel (WAM)


上の写真を見てください。これが何かわかるでしょうか?
これ実はマーシャルに昔から伝わるスティックチャートと呼ばれる海図です。全体に配置された貝はマーシャルのそれぞれの島(環礁)を、木の部分は潮の流れを表しています。昔の人はこれを頼りに前述のカヌーを操り、島を渡っていたそうです。大英博物館にも展示されている、この地方独特の品です。

こういった伝統的な技術は後世に残してほしいですね。
次回はオボンを紹介します!

SATO

パンダナス

マーシャル人がよくかじっているらしいパンダナス。

どんな風に実っているのかわかりませんが、かじられた後のパンダナスはよく道に落ちているんですよ。

味はというと、ほのかに甘くてどこかで食べたことのある風味がします。

食感は…最初は硬くて…でも繊維がすご過ぎて、かじったこと後悔する食感となっております。

歯茎がやせている方や歯にものが詰まりやすい方は、pure water等のお店にあるパンダナスジュースと言う画期的な飲み物がありますので、そちらで味わってくださいね!

 

あかね

 

Okeanos マーシャルカヌー

こんにちは

今回はハワイから16日間かけてマーシャルに到着したマーシャルカヌーを紹介します。

この船はココナッツのオイルを使って走るエンジンも積んでいるそうです。

形はマーシャルカヌー(ワーラッブ)のような形をしています。

船体には彫刻もほどこされており、とても素敵な船です。

すえ

Iokwe aolep.

Ij kwalok juon walap eo me ej itok jan Hawaii iuwmin 16 raan.

Ewor engine rot eo me ej kajerbal pineep ippan walap e.

Jekjek in walap e elukkun emman bwe ewor jina aiboojoj kilin walap e.

Kommool tata.

Yosuke Suematsu

Bikini~Rongelap

ヤッコエ。

今回はアメリカの水爆実験で被害を被ったビキニ環礁、ロンゲラップ環礁を少し紹介します。

アメリカは1954年3月1日に、ブラボーという水爆をビキニ環礁に落としました。

その影響は現在まで残っており、島に帰りたくても帰れない人たちがいます。

日本でも現在故郷に帰りたくても帰れない人がいます。

ロンゲラップ環礁の当時を知る方の言葉を実際に聞き、深く考えさせられました。

歴史が繰り返されないために、私たちは何ができるのでしょうか?

すえ

Iokwe aolep.

Ij tin konnaan kin aelon eo an Bikini kab aelon eo an Rongelap ilo iien in.

Armej in Amedika ro raar kawotlok juon bomb kileplep naetan “Bravo” ioon aelon eo an Bikini ilo March 1 raan ilo 1954.

Raar komman poison ie im ekar to an poison pad wot ilo aelon ko 2 nae etaer Bikini im Rongelap.

Jet armej rekonaan rool nan ijo jikier ak rejjab maron bwe elon poison ie.

Kab jet armej in Japan rej bar juon wot ilo situation in bwe ekar lukkun makutkut lal im ekar komman bwe en jorrean nuclear power plant eo.

Rekonaan rool nan lamoren ko aer ak rejjab bar maron.

Iaar konnaan ippan jet armej in Rongelap ro me raar pad wot ilo aelon in Rongelap ilo iien eo ekar wotlok nuclear bomb eo. Melele ko aer raar lukkun eddo im mwilal nan ad kolmenlokjen kake. Jej aikuj in kolmenlokjan kake bwe naan ko ak melele kein an armej ro ren lukkun aorok ippad.

Ta jemaron kommane bwe en jab bar walok wawein in? Jej aikuj in lukun  lomnak kake men in.

Yosuke Suematsu