母の日

いきなりですが、5月の第2日曜日は何の日でしょう?

そう、母の日ですよね。

日本では、日頃の感謝を込めてカーネーションなどのプレゼントやメッセージを
母親に送る習慣がありますが、
ここ、マーシャルの同じ日が”母の日”なんですよ。

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こんな感じで、マーシャルの大きなスーパーも
デコレイトをしていました。

在マーシャル日本人インタビューシリーズ:第二弾 後編

~マーシャル日本人インタビューシリーズ~
第二弾、白衣の天使Y崎さんインタビューの後編です。

Y崎さん:産科病棟には分娩室・NICU・褥婦病室の3つの部署があり、
主な仕事はお産に来た母子を看護し、健康に自宅に帰すことです。
しかしこの国では肥満・糖尿病の妊産婦さんが多いため帝王切開児や早産児、未熟児がたくさん産まれます。
そのような赤ちゃんたちの病棟での看護のフォローをしたり、退院後の赤ちゃんのフォローアップをしたりしています。
また、妊婦外来やコミュニティでの保健指導、学校での性教育等をしています。

 

 

 

目下がんばっていらっしゃるのはどのようなことですか?
Y崎さん:現在行っている活動を現地人主体で今後も継続していけるように徐々に技術移転していくことが課題です。
また各部署間の連携が乏しいのでそれを強化していくことも課題です。

 

隊員活動を終えたらどうされるのですか?
Y崎さん:ここで生活し始めて1年が経ちました。
隊員活動後の展望についてはこれからの1年を通して活動しながら焦点を絞っていきたいと思っています。
ただ今言えることは、隊員活動を通して培った国際的な視野を用いた看護を今後の人生でも行っていきたいということです。

 

最後にMJCCへ一言お願いします。
Y崎さん:いつも日本の風を入れてもらっているおかげで日本社会から離れていても日本を身近に感じることが出来ています。
本当にありがとうございます。これからもご支援の程よろしくお願いします。

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ということで弊社社員(皆、成人病及びその予備軍)、私の家族(主に心のケア)もお世話になっているY崎さんでした。

Y崎さん、お忙しい中インタビューにお答えいただきまして本当にありがとうございました!

 Naoki

在マーシャル日本人インタビューシリーズ:第二弾 前編

~マーシャル日本人インタビューシリーズ~
第二弾、Y崎さん

 

第二回目は、白衣の天使、Y崎さんです。
Y崎さんも、青年海外協力隊のボランティアとしてマーシャルに派遣されております。

ゆったりとした空気のマーシャルですが、人の生死がかかる医療現場は別世界。
ちょっとお話しをきいてみましょう。

 

 

どうして協力隊員を志望したんですか?
Y崎さん:子どもの頃に海外で生活した経験から、将来海外で世界に貢献できる仕事がしたいと考えていました。
子どもの頃はただ漠然とそう考えていましたが、大学時代に国際看護に出逢い、私がしたいことはこれだ!と感じました。
その頃からいつか青年海外協力隊に参加して世界の人々のために何かしたいと考えるようになりました。
日本とは異なる環境に自分の身を置き、異なる文化的背景を持つ人々と共に働くことは大変です。
しかし、そんな協力隊員活動を通して自分自身が成長することで、
国際的に活躍出来る看護師としての礎を気付くことができると考えました。
また、協力隊員として活動する中で世界の人々に日本文化や日本人の良さも伝えていきたいと思ったからです。

 

マーシャルに来る前は何をしてらっしゃったんですか?
Y崎さん:日本で小児科・新生児科で看護師として勤務してきました。
大学病院の小児センターとNICU、民間の診療所です。
同じ小児看看護でもそれぞれに看護の特色があり、
3箇所での経験を通して子どもが出生してから高校生になるまでのすべての成長発達過程における看護を経験してきました。
また、大学病院と診療所の双方での経験から、最先端医療から地域医療まで、
風邪から特殊な疾患まであらゆる領域の看護について学びました。

 

 今、マーシャルで働いているのはどんなところですか?
Y崎さん:赴任先はMajuro市Delap地区にある国内最大規模のマジュロ病院で、
内科・外科・小児科・ 産科・歯科・リハビリ科があります。その病院の産科病棟で私は働いてい ます。

 

つづく

在マーシャル日本人インタビューシリーズ:第一弾 後編

業務内容は?
K井さん:首都マジュロの廃棄物の収集、運搬、処理です。私達が廃棄物に関する唯一の機関なので。

 

K井さんのお仕事は?
K井さん:私の活動内容は廃棄物関係の多岐にわたっており、収集、運搬の効率化、ゴミの減量化、

リサイクルの効率化、ゴミ埋め立ての効率化、埋立地の管理、新規埋立地の建設、

などなどに関してのアドバイスと時には自らが手本を示すことです。

 

実際にはどのようなことをされているのですか?
K井さん:収集運搬の効率化のため日本の草の根無償資金協力を使って

家庭用ゴミ箱の設置、ごみの減量化や、リサイクルの効率化のための学校や地域へのリサイクルポイントの設置、

ごみ減量・リサイクル・分別の市民啓発、グリーンウェストと呼ぶ木や草のごみのコンポスト化、

紙ごみのバーベキュー用燃料化・販売、ごみ量やごみ組成の調査、

新規埋立て地の建設に関する各種測量調査等ですね。

 

大変そうなお仕事ですね。。。
K井さん「そうですね。廃棄物国家戦略の策定にも携わりますし、マネージャーをはじめ職員が何かわからないことがあれば

自分に聞いてくるので常に頭の切り替えが必要な毎日です。

 

いま重点的に行っている活動はなんですか?
K井さん:ごみ分別の定着です。ゴミ分別が徹底できればこの国の廃棄物処理はリサイクルを含めかなりの部分が改善されると思います。

 

隊員活動を終えたらどうされるおつもりですか?
K井さん:体が健康であり必要とされるなら再度JICAのSVとして志望しようと思っています。

 

さて、最後になりました。弊社MJCCへ一言ください。
K井さん:日本語で買い物ができ、日本食品も買え、非常にありがたい会社です。

さらにこの国のいろいろな情報も入手できるという自分にとってはなくてはならない会社です。

時々迷惑をかけると思いますがこれからもよろしくお願いします

 

K井さん、ありがとうございました。

 

Naoki

在マーシャル日本人インタビューシリーズ:第一弾 前編

K井さんはどういう経緯で(協力隊として)マーシャルへいらっしゃったんですか?

K井さん:38年間広島市職員としての勤務し、定年後に公益法人に勤務しましたが、

それらの間に途上国の環境協力の仕事を行ったのがきっかけです。

 

 

広島市職員のときはどんなお仕事だったのですか?

K井さん:最初の25年間は衛生研究所で研究員でした。

昭和40年代~50年代の日本の公害時代で毎日がてんてこ舞いでした。
本庁の環境関係の環境局に移動した後は環境基本条例、地球温暖化防止条例、

環境基本計画、等の条例の制定や各種環境関係の計画策定を行ってきました。

 

環境一筋のスペシャリストですね。

K井さん:38年間、広島市で私以上に環境問題に詳しい人はいないという自負を持って職務を全うしました。

 

協力隊に応募したきっかけは?

K井さん:市職員時代の国際協力に関わったことがあるのですが機材援助、研修生の受入ばかりで

実際の途上国の現状は書物、インターネット、テレビ等の情報だけでした。

肌で感じておらず。果たして本当に効果的な協力を行っているのかという思いがありました。

退職後はこれまで習得した知識や技術を必要としている人のために役立てたいという思いもありました。

市職員時代終盤にはその思いが一層強くなり、

ボランティアでも良いから途上国の環境問題解決に役立ちたいとJICAのSVを志望しました。

 

 

協力隊員として今はどちらの機関へ所属されているのですか?

K井さん:Majuro Atoll Waste Companyという組織です。

 

“カンパニー”なんですね。

K井さん:カンパニーといっても政府をはじめとする各種機関の100%出資で設営運営されており、

公共事業省の外郭団体の位置づけといえます。日本流に言えばマジュロ環礁廃棄物管理公社ですね。

 

(続)