在マーシャル日本人インタビューシリーズ:第一弾 前編

K井さんはどういう経緯で(協力隊として)マーシャルへいらっしゃったんですか?

K井さん:38年間広島市職員としての勤務し、定年後に公益法人に勤務しましたが、

それらの間に途上国の環境協力の仕事を行ったのがきっかけです。

 

 

広島市職員のときはどんなお仕事だったのですか?

K井さん:最初の25年間は衛生研究所で研究員でした。

昭和40年代~50年代の日本の公害時代で毎日がてんてこ舞いでした。
本庁の環境関係の環境局に移動した後は環境基本条例、地球温暖化防止条例、

環境基本計画、等の条例の制定や各種環境関係の計画策定を行ってきました。

 

環境一筋のスペシャリストですね。

K井さん:38年間、広島市で私以上に環境問題に詳しい人はいないという自負を持って職務を全うしました。

 

協力隊に応募したきっかけは?

K井さん:市職員時代の国際協力に関わったことがあるのですが機材援助、研修生の受入ばかりで

実際の途上国の現状は書物、インターネット、テレビ等の情報だけでした。

肌で感じておらず。果たして本当に効果的な協力を行っているのかという思いがありました。

退職後はこれまで習得した知識や技術を必要としている人のために役立てたいという思いもありました。

市職員時代終盤にはその思いが一層強くなり、

ボランティアでも良いから途上国の環境問題解決に役立ちたいとJICAのSVを志望しました。

 

 

協力隊員として今はどちらの機関へ所属されているのですか?

K井さん:Majuro Atoll Waste Companyという組織です。

 

“カンパニー”なんですね。

K井さん:カンパニーといっても政府をはじめとする各種機関の100%出資で設営運営されており、

公共事業省の外郭団体の位置づけといえます。日本流に言えばマジュロ環礁廃棄物管理公社ですね。

 

(続)