ビキニデー62周年

3月1日はビキニデーでした。 SONY DSC 今年はビキニデー62周年、ビキニ環礁の人々が故郷を追われて移住をさせられてから70年目を迎えました。 当日は、市民によるパレードのあと、デラップパークにて式典が行われました。 SONY DSC SONY DSC ビキニ環礁では1946年~1958年代にかけて、アメリカによる核実験が23回行われました。 1954年3月1日のブラボー実験では、広島型原爆の1000倍もの水素爆弾が炸裂し、 住民と島に甚大な放射能の被害をもたらしました。 式典会場に飾られていたのは、マーシャル諸島短大の学生が作成したメッセージボードです。 黒く塗られた人の形は、核実験による被害で失った家族を表現しているとのこと。 SONY DSC ビキニデーで感じたことは、ビキニ住民にとって、これは未だに解決の見通しも立たない、 進行形の問題であるということです。 70年経ってもビキニ住民は、故郷に帰って暮すことができないままでいます。 マーシャルが直面してきた核兵器への反対運動を これからも世界に向けて、マーシャル政府は訴え続けていくようです。 SONY DSC マーシャル諸島政府は、核兵器保有国であるイギリス、インド、パキスタンを相手に 核軍縮を求める行動起こし、オランダのハーグで予備審問が行われています。 核不拡散条約の下で核軍縮を交渉する義務に違反したとの訴えを、国際司法裁判所に起こしたのです。 マーシャル諸島政府は他にも、核保有国の中国、フランス、ロシア、米国と、イスラエルと北朝鮮を含め 提訴しましたが、これらの国は提訴に応じていません。   人口わずか7万人の小さな島国の訴えが、大国に核兵器を解体させるほどの強制力はないであろう、 また、この主張は裁判所の管轄外である、との見方が大半のようです。 しかし多くの活動家や学者によると、国際司法裁判所でマーシャルで行われた核実験による被害の訴えと、 核軍縮の問題を提訴できたこと自体が、この行動は成功したと言えるとのことです。   以下にご紹介するのは、ビキニ政府のホームページです(英語)。 当時のビキニの様子や、現在の避難先での住民たちの様子など、貴重な写真が多く掲載されています。 詳しく知りたい方は、ぜひご覧ください↓ http://www.bikiniatoll.com/   mika

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