Jambo Arts Exhibition


先週18日と19日の二日間、RREホテルの集会所”BOKANAKE”で
Jambo Arts Exhibitionが開催されました。

 

年に二度、マーシャル在住のアーティスト作品が一度に見れる貴重な機会です。

 

Jamboはマーシャル語で「チャンポ」と発音し、日本語の「散歩」が語源です。
散歩のほかに、ヨットや船での航海、車でのドライブも意味します。

 

今回のテーマは、”how do you love?”

絵画、彫刻、アクセサリー、リサイクルクラフトなど、出展作品はさまざまです。

 

アーティストの多くは職業作家ではなく、教師や会社員として勤める傍ら、創作活動を行っています。
会場中央にはJunior Jamboのコーナーが開設され、小中学生による作品も多く展示されていました。

 

5歳の息子がビーズをつなげて作ったネックレスを販売する、大学教員のお母さん。

海に囲まれた環境では、貝殻も身近な材料のひとつです。

巻貝に色付けされた色とりどりの花。

紫の細長いパイプウニ(サンゴがある場所で生息)のとげ、瓶の破片、ロープも芸術作品に様変わり。

運転中よく遭遇する豚がパンダナスの実を食べている、マーシャルならではのファンタジックな画も。

古着をリサイクルしてバックや小物を作るフィリピン出身のアーティスト。

古ジーンズを再利用して作られるバックは大人気です。

 

気に入った作品は購入することもできます。

 

今回購入した作品はこちら。

プラスチックをキャンドルで炙って色づけされた、花びら形のネックレス。

携帯電話で通話する際に必要なcell cardが、お洒落なピアスに大変身!

アミモノと、マーシャルの地図柄の二種類を購入しました。

 

次回開催は、半年後の11月です。

 

今度は私もアーティストの一人として、エコアンダリヤで編んだアミモノバッグを
展示することになりそうです。

shiori

日本語スピーチコンテスト

5月3日、マーシャルで日本語スピーチコンテストが開催されました。

コンテストは日本大使館の主催で毎年行われており、今年で第8回目となります。

 

 

マーシャルでは現在、マーシャル諸島高校(MIHS)・マーシャル諸島短大(CMI)・ コアップ高校(COOP)の

3校で日本語の授業があり、 各学校では青年海外協力隊などの日本語教師の方々が

熱心に日本語教育に取り組んでいます。

スピーチコンテストはこの3校の学生たちで競われました。

 

マーシャルは日本が統治していた時代もあることから、

祖父・曽祖父が日本人であるという日系人も多く、

名前が「フキコ」「ユキコ」「タダシ」「キヨシ」など名づけられていたり

苗字が「モモタロー」「チュータロウ」「ヤマムラ」「ミズタニ」など 日本的な名前の人もいます。

 

年配の方のなかには日本語を流暢に話せる人もいますが

最近はそのような方は少数になってきたことも事実です。

むしろ街中では、学校で日本語を履修した若い世代のほうが

日本語であいさつ程度はできるという人が多いです。

 

スピーチコンテストでは、会場に立ち見が出るほど、たくさんの人が見に来ていました。

 

コンテストは朗読部門・スピーチ部門があり

スピーチ部門(18歳以上の部)の優勝者は日本へ研修に行く権利を得られます。

今回はマーシャル諸島高校の男子生徒が優勝し、権利を獲得していました。

 

親日な人々が多いマーシャル。 これが若い世代へとつながっていくことを願います。

日本人として嬉しいことですね。

 

MIKA

 

33回目の憲法記念日

5月1日メーデーは、数少ないマーシャルの祝日でした。

 

別名「マジュロ・デイ」 「ケーメン」(1歳の誕生日を祝うこと)と呼び、
10月26日の独立記念日よりも盛大に、マーシャル国家の誕生を祝う大切な一日です。

 

今年で33回目の憲法記念日を迎えた首都マジュロでは、
中心街のDelapに朝から晩まで多くの人が集まりました。

 

雨が降りしきる中でも決行された午前中のパレード。
参加した友人から「一度は見ておいたほうがいい」と連絡を受け、
真っ青な空が顔を覗かせた午後、ドライブがてら中心街へ行ってみました。

 

交通規制のため迂回の表示があり、普段は使わない裏道を通って
国会議事堂前に出ると、駐車スペースから溢れる車と人の数に圧倒されました。

 

何が始まるのかと見物人に話しかけてみると、もうすぐ午後のパレードが始まるとのこと。
午前で終了していたと思っていたので、ラッキーです。

 

クラクションの音が鳴り響く方角に向かって、一斉に走り始めた人々を追いかけてみます。

ラジオから流れる音楽とともに、次々と登場する山車。

 

伝統的な衣装で着飾り、ココナッツの葉で編まれたアミモノマット「ジャキ」を手に踊る従業員。

台湾の漁業会社は釣竿デコレーションで観客の目を奪います。

貝殻と棒で作られた海図「スティック・チャート」や伝統カヌーの模型を乗せて走る観光局。
スタッフはパンダナスの葉で作られた帽子をかぶっています。

空き缶の飾りつけでリサイクルのアピールをする産業廃棄物会社。

太平洋で一番の速さを誇るマーシャルの伝統カヌーも参列です。

運転手はクラクションを鳴らしながらリズムを刻み、荷台の上では歌と踊りのパフォーマンスが繰り広げられていました。

 

いわゆる娯楽施設やデーマパークのないマーシャルですが、
しばしディズニーランドのパレードを眺めているような錯覚を覚えました。

 

 

翌日、前に座った同僚のTシャツには…

“May Day 33rd Anniversary”の文字が書かれていました。

前のデザインは”Marshall Islands”…?

ではなく、彼女の苗字でした。

家族仕様ですね。

 

このTシャツを着て、退社後彼女が向かった先はヤキュウの試合会場でした。

 

憲法記念日を祝うスポーツイベントとして、ヤキュウはバスケットボールと並ぶメインスポーツです。
(日本語がマーシャル語になったヤキュウですが、実際には日本でいうソフトボールのことを指します)

 

主に10代が参加するバスケットボールに対し、ヤキュウは参加者の年齢層が幅広く、
観客数も多いのが特徴です。
優勝した環礁チームには、3000ドルの賞金が内務省から送られます。

 

両親の出身環礁によって、自分の参加するチームは決まりますが、
家族概念が広いマーシャルでは、複数の環礁につながりがあります。

 

そのため、自分の所属チームが負けてしまっても、対戦した相手の環礁チーム代表として
翌日はバッターに立っている、ということが普通に起こり得ます。
このマーシャルルールによって、ホームランバッターとして有名な同僚は
準決勝まで複数のチーム代表として参戦していました。

(そもそも、勝ち負けを表すマーシャル語はなく、英語のwin→wiin, lose→luujがマーシャル語として現在使われています)

 

マジュロ中が賑わったメーデーから、早11日が過ぎました。

 

国会議事堂のデコレーションがいつ片付けられてしまうのか、

毎朝確認するのが日課になりそうです。

 

OKAWA

2012.3.1 ビキニ・デー

ビキニ核実験から58年目を迎えた今年は、
MOH(Ministry of Health)主導による核被爆者追悼記念式典が
首都マジュロの中心街Delap(デラップ)地区に位置する
ICC(International Convention Center)で行われました。

 

前日の夕方、マジュロ病院で10時に式典開催のアナウンスが流れた
という情報を入手したので、10時に会場へ向かったところ、
明らかにまだ準備中の様子。

 

1、2時間の遅れは想定内でも、15時開始の変更にはマーシャルタイムといえどもびっくりです。
(招待状が届いた日本大使館には、最初から15時と連絡があったようです)

せっかく中心街までやって来たので、車で5分ほどの場所にあるビキニ環礁地方政府の事務所へ行ってみました。

事務所前には5、6人のERUB(米国が核被災を認定している4環礁の頭文字をとった名称で、マーシャル語で「破壊」の意)
メンバーのおじさんがおしゃべりをしていました。
今年は被爆者の多くがキリ島(ビキニ退去直後に約1200人が移住)に行っているため、
マジュロでは特にイベントや集会を開かないというのがERUBメンバーの共通認識としてあるように感じました。

年によってはパレードがある(2007年には、数台の車に乗ってクラクションを鳴らしながら
ビキニデーのアピールをしている様子を見ました)が、今年はパレードもないとのこと。

事務所玄関内の壁に飾ってあるブラボーショットの写真や、実験後の島民の写真について解説をしてくれたのは
ビキニ出身の方で、今日は特に何をするわけでもないが、家族で集まってご飯を食べ、お祈りをすると話をしてくれました。

15時半から始まった式典には、政府関係者の出席が目立ち、子どもの姿はほとんどありませんでしたが、
マーシャル短期大学の成績優秀者10人ほどの生徒が、
キャンドルセレモニーで点灯役を務めるために出席していました。

 

海外メディアの姿はなく、日本から前日入りした焼津市のNGO団体と報道陣数人が
ビデオカメラを回しているくらい。
マーシャル国内のテレビ、ラジオ局の中継もありませんでした。

 

お祈り、国歌斉唱の後、米国大使、マーシャル地方政府の議員、外務大臣、
ERUB代表被爆者、4環礁(米国政府が被害があったと認めたビキニ、ロンゲラップ、エネウエタック、ウトリック環礁)
を代表してウトリック環礁代表の5人が順に登壇してスピーチをしました。

 

各スピーチは1人10~15分くらいで、
一番長かったのは意外にも最後に話をしたERUB代表者でした。
スピーチはマーシャル語だったので、英訳の全文が会場に配られました。

<ERUB代表Charles Domnick氏証言スピーチ>
http://www.yokwe.net/index.php?module=News&func=display&sid=2977

 

<式典の様子を伝えるYokwe online記事>
http://www.yokwe.net/index.php?module=News&func=display&sid=2976

 

2007年に私が出席した式典(ビキニ環礁地方政府事務所前でテントを設置して開催)では、
どちらかというと政府関係者が招待されて、ERUBの人たちが主催しているという形だったと記憶しているので、
今年はその構図が逆であることから、ERUBメンバーが招待されている場で
被爆体験を語ることは厳しいだろうと予想していました。
過去には、直前まで被爆体験を話すつもりでも、いざステージに立つと重要な部分を話せなかったり、
被爆体験者のスピーチがプログラムから削除されるといったことがあったそうです。

 

しかし、そんな私の予想は大きく裏切られ、しっかりとした語り口で堂々と当時の記憶を語る様子は、
なんとも言えない緊張感と威厳に満ちていました。

 

スピーチの途中で、「WE WANT JUSTICE」と手書きで書かれた紙を持った男性が前に出て、
しばらくするとステージから会場の中央を通って、後ろの席までゆっくりと紙のメッセージを客席に見せながら歩いていきました。
スピーチ終盤も、今度は別の男性が同じ紙を持ち、中央通路を通ってステージ前に戻りました。

 

そして、客席に身体を向けた瞬間、
突然感極まった嗚咽と共に泣き崩れ、顔を覆いながらしばらく震えが止まらず身悶える様子に、
会場は一瞬時が止まったような静けさに包まれました。

 

スピーチが終わっても、男性は米国大使に紙を見せるように身体を向けたまま、
司会者が話をするまでなかなかステージから降りようとしない姿にも、
無言の抵抗を強く感じました。

 

その後、キャンドルセレモニーが行われ、スクリーンには核実験当時の映像や
今も放射能の脅威が残る様子を伝えるスライドが流れました。
実験後、米国兵が島民の健康調査をする様子など、米国兵の活躍を主張するようなスライドが多いかと思えば、
すさまじい実験映像の合間に、マーシャルの美しい島の映像が挟まれるような編集に
愛国心を彷彿とさせるようなものも感じました。
映像がどのような立ち位置から作られたものか知りたかったので、映像制作者を尋ねたところ、
MOHでデータ管理をしているマーシャル在住9年目の
フィリピン人女性が映像を作成していました。
彼女は今年でセレモニー用の映像を作るのは3度目で、特に今年は他の核実験との比較をすることで、
ビキニ被害の甚大さを伝えたかったと話をしていました。

 

約2時間半の会が終了した後は、ロビーでサンドイッチが配られ、歓談する人たちで溢れていましたが、
米国大使の姿は見えませんでした。

 

OKAWA

“Friends of Japan” Charity Concert

after Tsunami
The Enemanit-Latuma Extended Family Association (ELEFA), a local non-profit organization, has teamed up with local organizations, businesses and individuals hold an all-star local band charity concert, “Friends of Japan” for the victims of the earthquake and tsunami disaster in Japan.

“Friends of Japan” the charity concert

Friday, 25 MARCH 2011, 6 PM~

@the RRE Center Stage

Entry is $3 for adults and $1 for students/children

The relief concert will feature well-known local acts such as Kabol Lal, Lamaran featuring Brother C and Flavah C, M Polen, Bwil ‘M Molo, the Fijian Community and many more. All organizers and performers are 100% volunteers which mean 100% of any donation through the ELEFA Japan Earthquake-Tsunami Relief Fund will go directly to the disaster victims of Japan through the assistance of the Embassy of Japan here in Majuro. At this concert, there is a plan to hold a “candlelight” vigil — using cell phones instead of candles to provide light — to support the people of Japan.