核被害者追悼日(Nuclear Victims Remembrance Day)

3月1日は核被害者追悼日(Nuclear Victims Remembrance Day)。マーシャルでは、1946年から1958年にかけて12年間で、アメリカによる核実験が67回行われました。マーシャルの人々に最も深刻な被害が出た水爆ブラボーは、67年前の3月1日、ビキニ環礁で爆発しました。近海で操業していた日本の漁船「第五福竜丸」もこのときに被ばく。日本でもビキニ事件として大きなニュースとなり、この事件をきっかけに原水爆禁止運動が日本全国に、世界にと広がっていきました。

核被害者追悼式典

マーシャルは核実験が行われた場所であり、最大の犠牲者がいるにもかかわらず、被ばくしたマーシャルの人々の被害はどうなのか、大丈夫なのかと被ばく者に寄り沿う声や関心は、当時世界からあまりありませんでした。日本のニュースでも「ビキニ」という場所以外にマーシャル諸島について語られることは、70年代にジャーナリストが現地に来て取材し伝えられるまで、残念ながらあまりありませんでした。

マーシャルがアメリカ信託統治時代であった影響もあると思いますし、インターネットなどない時代、太平洋の孤島から情報を世界に発信する手段は限られていました。当時、被ばくした島民(ビキニ・エヌエタック・ロンゲラップ・ウトリックの人々)は、孤独に核被害と闘ってきたという歴史があります。

式典でビキニ環礁の歌をうたう、ビキニ島民たち

今年の核被害者追悼日のテーマは「私たちは一人ではない」。時代は変わり、いまはマーシャル国内だけでなく世界中の人々やNGO団体・研究者が、平和と人権のためにマーシャルの核実験の問題を注視しています。今回のテーマに沿って、世界中の人々からマーシャルへメッセージビデオが寄せられ、式典で上映されました。日本からも投稿してくださった方々がいました。

日本からのビデオメッセージ

 

核実験のために島を追い出され、75年経っても、いまだに故郷へ戻れない島民。核廃棄物を封じ込めたドームがあるエニウェタック環礁では、地球温暖化による海面上昇やドームのひび割れからの、放射性物質の海への流出が懸念されています。

さらに核実験による放射性降下物が、被ばく4島以外にもマーシャル全土に影響を及ぼした可能性や、特に中間地帯に位置するリキエップ環礁やウォッチェ環礁などの人々の健康に被害をもたらしたと言われています。

“Nuclear Justice”、核被害に対する正当な解決、真実、そして故郷での平和な暮らしを求めて、マーシャルの人々の訴えはこれからも続きます。

 

mika

 

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